雷命神社
らいめいじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】雷命神社 対馬島 下県郡鎮座

   【現社名】雷命神社
   【住所】長崎県対馬市厳原町阿連356
       北緯34度16分9秒、東経129度12分20秒
   【祭神】雷大臣命
   【例祭】6月8日 例祭 11月8日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】承和10年(843)9月従五位下
       貞観12年(870)3月正五位下
       明治7年6月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録は無い

   【祭祀対象】本来は雷を祀る
   【祭祀】江戸時代は「八龍大明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】阿恵之若御子神社・金比羅神社・海神神社・軍知神社
       薬間神社・恵比須神社・御大照神社


雷大臣命を祭神とする社で、亀トの発祥地とされてゐる。雷大臣とは、対馬ト部の祖とされる人物で、神功皇后の審神者(サニワ)を勤めた中臣烏賊使主のことである。
近世には八龍大明神と呼ばれ、今でも水神として祀られているが、明治になり旧称に復


雷命神社

昔、中臣伊賀都臣(ナカトミノイカツオミ)という人が、神功皇后の命をうけて百済に使し、かの国の婦人をめとって、その間に日本大臣(ヤマトオミノミコト)という男子が生まれた。
日本大臣長じて日本に帰り、対馬の阿連(アレ)村に留まり住んだ。
阿連の美しい入江に注ぐ水清き流れの水上にある雷命神社は、この日本大臣(ヤマトオミ)をまつる社である。
また、その祠官である橘氏は、日本大臣伝来の亀卜の法を伝える家で、城下にある国府八幡宮の従宮司をも勤める重い家柄であった。
対馬の神道で特に誇りとしていた亀卜の法は、この家を中心に拡まって、その一つである豆酸(ツツ)(註・対馬島の最西南端)の、岩佐家では、維新後も最近に至るまでこの法を行っている。

『対馬の神道』



本山送り

長崎県対馬市厳原町阿連(あれ)の雷命(らいめい)神社で15日、神無月(旧暦10月)のため不在だった氏神の代わりに集落を守ってきた太陽の女神「オヒデリ様」を、山に帰す伝統行事「本山(もとやま)送り」=市指定無形民俗文化財=があった。氏子ら約50人が雷命神社から山中にあるオヒデリ様のほこらまで練り歩き、感謝の祈りをささげた。
阿連では旧暦9月29日から、氏神で雷神の「雷大臣命(いかつおみのみこと)」が雷命神社から出雲に出掛け、代わりにオヒデリ様が山から下りて住民を守ると伝えられている。雷大臣命は旧暦10月29日に戻り、その後10日間は同神社に両神が鎮座するとされており、本山送りは、懐妊したオヒデリ様を山中のほこらに帰す神事として、毎年旧暦11月9日(今年は12月15日)に執り行っている。
この日は、橘一門(かずかど)宮司(70)が束ねた女竹に御幣を差した「大カナグラ幣」にオヒデリ様を移す神事を雷命神社でした後、江口一也区長(58)を先頭に約1キロ先のほこらに向かって出発した。江口区長が「いざや いざや とのばらや とのばらや とのばらを元の山にお送り申す」と口上を唱えると、一行は「おー」と声を上げ、ほら貝を吹いたり、太鼓やかねを打ち鳴らした。シカの神役の子どもが、石積みの陰から飛び出し大人を驚かすしきたりもあった。
上流のほこらに着くと、一行はろうそくに火をともし河原に正座。橘宮司が御幣などをほこらに奉納し、祝詞を奏上した。参列者には出発前にブリの切り身、到着後に新ソバの粉が振る舞われた。
橘宮司は「阿連は、古語の誕(あ)れ(神の誕生)から名付けられたともいわれる。祭りには1年の豊作、豊漁を感謝する意味合いもあるのではないか」と話している。

長崎新聞2018/12/19



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