権現島
ごんげんじま 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大島神社 対馬島 上県郡鎮座

   【現社名】権現島
   【住所】長崎県対馬市豊玉町仁位
       北緯34度23分21秒  東経129度18分48秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】
       

   【境内社】

仁位の川口の入江が、元禄の頃(17世紀末)八郷負請で干拓され、広々とした田地となつたが、この田圃の中に権現島、カタエ島、イツキ島と呼ばれる三つの小島が並んでいた。東南の大きい島が権現島、中の小島がカタエ島、 西北の最も小さい島をイチキ島と呼んできた。権現島の跡地と推定される場所に「権現島玄海ツツジ園」がある。
権現島の南の丘には東浜遺跡(彌生時代の墳墓群)がある。


権現島

豊玉診療所付近の権現島は和多都美神社の飛地境内です。仁位サポート会のみなさんが整備されて綺麗になってます。
この権現島と豊玉小学校にある二つの小山(島)は「三嶋和多都美(みしまわたつみ)」という禁足地だった神島です。現在、三嶋和多都美の神様は、和多都美御子神社に合祀されています。
昔は祭祀もあったようですが、今では知る人も少ないただの小山です。

facebook和多都美神社(対馬)



三ツ島と権現

浜の「お開き」の田の中に、三ツ島といわれる大・中・小三つの小島があった、今では埋め立てられて環境が変わったが、開田前は入江に浮かぶ島であったことは想像がつく。東南の大きい島が権現島、中の小島が「カタエ島」で、西北の最も小さい島を「イチキ島」と呼んできた。
「紀事」には、瀛津島、瑞津島、市杵島としているが、これは古典神話の宗像三神に付会した名で、現地にこのような名称はない。(ただし市杵島だけは現地の名と合う)そしてこの三島に彦火火出見尊と豊玉姫が逍遥したというのも古典神話への付会だが、それにしても和多都美神話と宗像神話の混淆とは、その作為の程が見えている。
この三ツ島に、それぞれ神が配祀されたのであろうことは、十分に考えられることではある。権現島とは、その名の如く権現社があったからであり、イチキ島とは、神を斎き祀った所と解されるが、現在祭祀は遺っていない。権現島の祭祀について貞享の「神社誌」は、
権現、神体石、勧請の事相知らず。
社無之、村より四町程の叩ノ方に有り。
神山は麦五舛蒔程、小竹有之。
六月吉日、百姓与次右衛門之を祭る、宮舞同村ツマ。
とあり、村より卯の方(東)というのは正しくない。天明の「神社大帳」には[権現社、浜の三島に有り、これ遥拝所」とあり、そして「紀事」は、「権現社、祭神三座、天児屋根命、天太王命、雷大臣命。神体石」というのだが、このような祭神の配列は全く恣意としか解しようがない。
現在その石祠もないが、あるいは神跡かと見られる所はある。カタエ島には以前大きな板石があったが、川の工事に使用されて今はない。

豊玉町誌



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