当社は仁明天皇の承知7年に官社となり延喜式神名帳に名神大と記載された名社である。 当社はもと「天神宮」と称していたもので明治初期に和多都美御子神社と改称したけれども和多都美としての由緒は無い。 |
和多都美御子神社 延喜式内名神大社 和多都美御子神社 御祭神 鵜茅葺不合尊、神武天皇、應神天皇、菅原道眞公 例祭 旧暦8月25五日 由緒 当社は仁明天皇の承知7年に官社となり延喜式神名帳に名神大と記載された名社である。 貞和5年(1349)筑前国大宰府より天満宮を勧請す。後当宮に合せ祭る。 当社はもと「天神宮」と称していたもので明治初期に和多都美御子神社と改称したけれども和多都美としての由緒は無いのである。しかし天神宮時代の当社は木坂八幡宮、府内八幡宮に次ぐ社格を有し、その祭禮には藩主の御名代が参詣する名社であった。往年の仁位祭とは和多都美宮でなく天神宮であったのである。 社頭掲示板 |