行相神社
ゆきあいじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】行相神社 対馬島 上県郡鎮座

   【現社名】行相神社
   【住所】長崎県対馬市豊玉町田1059
       北緯34度25分51秒、東経129度17分47秒
   【祭神】皇孫命 大己貴命
   【例祭】9月8-9日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】貞観12年(870)3月従五位上
       明治7年6月村社
       大正4年11月12日神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「王子若宮」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

明治になつて社号を復旧したもので、以前は王子若宮と呼称されていた。
王子若宮という神社が、いかなる理由で行相神社になつたのか、その根拠は正確に論証されていない。
社名に関して、@道の行き会う場所に位置する。A勒負(ゆきおい)のことで、『津島紀事』に「勒負神社」と記されている。の2説ある。
行相神社の比定社として、地元で「セーンカミ様」と呼ばれる仁田のサエノカミ、『津島紀事』では本居神社とする説がある。


行相神社

祭神 皇孫命、大己貴命(旧村社田船蔵鎮座)
由緒 大己貴命天下を経営したまいて鳥獣昆虫の災をはらうため禁圧の法を創め、また百薬草を製して医薬禁圧の法を伝えられた神である。天下四方の蒼生この神の恩頼をこうむる。そのために対馬中央西海岸の良港にして古代海神の神蹟に祠を建て鎮守の神として祀る。「延喜式神名帳」に記載されている上県郡行相神社はこの社である。本社鎮座の地は寛元4年以前はもと上県郡に属していた。また清和天皇貞観12年3月5日には従五位上に叙せられ神事造営は上より行われ国司国主の崇敬篤く社領を所有した神社である。明治7年6月社格村社に列位され大正4年11月12日には神饌幣帛料供進神社に指定された。

社頭掲示板



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