対馬での稲作の起源説話を持つ神社である。 神社明細帳に「上古海神神社を伊豆山に祭る時、白鶴稻穂を含み空より來て榎田に落す。里人取て榎田に植て御饌とし、榎田を以て神田とす。故に伊奈と名く。榎田は志多留に在り、鶴の穗を落せし所は伊奈の原也。其の所を穗流川といふ。古跡今に存す。古は大伊奈と云。大歳神を祭る。」とある。 当社には全く論社がない。 伊奈は中世の頃は伊奈郡の中心。1274年の文永の役では、伊奈浜で壮絶な戦いがあったという。 中世衰微し、当地の西にあり、熊野権現と称された志多留能理刀神社の末社になり、祭祀も志多留能理刀神社の方が盛んになった時期もあったという。 |