小鹿と、峰町志多賀の境界に(当社の東北)、その名も神山(標高344m)とよばれる不入の霊山があり、『対州神社誌』には、この神山の山中に「本山大明神」「かなご」「かなぐら」「北山大明神」等の神所が記され、山麓に「那祖師」が祭られている。このなかで、「かなご」は「神体社等無之。由緒不知」と記されている。社殿のない磐境であつた。「かなご」は「神子」であろう。 山麓小鹿と志多賀の二カ所に「那祖師」があり、後「那祖師」に合祀され、改称したものと思われる。 式内社調査報告には「(この地には)彌生遺跡から古墳まである。さらに大切なことは、大形の勾玉が出土してゐるが、これは祭祀遺物であつた可能性が強い。さらに神社に彌生の青銅矛が十三本保存されてゐるが、これは古い祭祀の儀器であり、社祠がなかつた時代からの傳世品ではないかとも思はれる。」とあって、当社を式内那須加美乃金子神社に比定している。 志多賀の金子神は小鹿より勧請されていったとも伝。 |
那須加美乃金子神社 素盞男尊五十猛命を率い八十木種を持って韓地曾尺茂利の所に行き、其の種を植えさせ玉ひ、帰朝の時比山に八十木種を植え玉ふより繁茂し、人の入ることを深く禁ずる處にして、実に神霊の地なり。貞観12年(870)3月被授従五位上。是則「延喜式神名帳」に載する那須加美乃金子神社也。明治7年村社に列せらる。観請不詳。 神社明細帳 |