往古沖で遭難した九十頭の馬の内一頭が岸にたどりついた地とされる。残りの馬は沖の御前岩(駒形岩)と化したと云う。白羽神社の元宮とされる。 |
駒形神社本殿 市指定有形文化財 一間社入母屋流造杮葺 駒形神社の由諸は、明らかではありませんが、聖武天皇時代(701~756)と伝えられています。 また、その社名から律令期(奈良~平安時代)にこの地域一帯にあった白羽官牧と関係の深い神社のひとつと考えられます。 本殿は様式的には江戸時代中期から後期前半あたりの時代的傾向が顕著であり、本殿の建立年代はそのあたりと推察されます。 本殿の構造の一間社というのは、実寸法ではなく、構造様式の表示方法であり、流造というのは、前流れの屋根が曲線状に長くのびて向拝となったものです。 母屋(本殿)の柱は円柱で、二手先出組(ふたてさきでぐ゛み)で丸桁(まるけた)をしっかり支えています。頭貫(かしらぬき)の中備(なかぞなえ)は蟇股(かえるまた)となっており、正面は鳳凰・左右は兎と馬、裏は鶴となっています。屋根は柿葺(こけらぶき)で材は檜(ひのき)です。 御前崎市HP |
伊勢神宮から"ご神木"の柱 老朽化した拝殿を近く一部改築する御前崎市御前崎の駒形神社(高山国臣宮司)が、伊勢神宮(三重県)の旧社殿で使われていた御用材約4トンを譲り受けた。格式が高い「荒祭宮(あらまつりのみや」で用いられ、樹齢300年を超えるという柱2本も含まれる。高山宮司は「ご神木とも言える柱を頂き非常に光栄」と話し、21日に神事を行い、市内で柱をお披露目する。 同神社によると、地元でカツオ漁が盛んだったころ、豊漁を祈願する漁師たちがバスを何台も仕立てて、お伊勢参りしていた。その縁を通じて高山宮司が今年5月、20年に1度の式年遷宮を昨年終えた伊勢神宮に御用材の提供を願い出た。 「荒祭宮」は、祭神・天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭った社殿に所属する10カ所の別宮のうち、最も格式が高く天照大神の荒々しい魂を祭っている。譲られたのは、その屋根を支えていた柱2本。いずれも長さ約7メートル、幹回り約1メートル36センチに達するヒノキの大木で、高山宮司らが10月、伊勢神宮に出向いて持ち帰った。 拝殿改築を手掛ける掛川市の「飛鳥工務店」の棟りょう鈴木鉄雄さんは「伊勢神宮では、千年以上同じ工法で社殿が建てられてきた。その材木を扱えることは若い宮大工にとって刺激になる」と意欲を見せる。駒形神社では、拝殿の柱や欄干、縁側などに利用する。 21日は柱2本を台車に乗せ、午前9時に同市御前崎の神明神社を出発、氏子ら約300人が駒形神社までの2・5キロを練って市民に披露する。その後、境内に1月3日まで飾るという。 高山宮司は「駒形神社の氏子や地域の繁栄につながるありがたい御用材を頂いた。一般の人もぜひ見てほしい」と話している。 静岡新聞2014/12/20 |
駒形神社本殿 御前崎市指定文化財 駒形神社本殿(一間社入母屋流造) 指定 昭和44年6月24日 駒形神社は、縁起書によれば安閑天皇元年(531)鎮座とあります。 元亀2年(1571)、武田の兵火により社殿が焼失しました。 本殿の再建遷営は1630-1650年代と思われます。 意匠は、江戸期の寺社建築の基本的構造をなしている。向拝部の組物、蟇股(龍)木鼻(象)共に全体に華やかなものであり、これらはいずれも江戸中~後期の造りを示しています。 その後の改修は、享保9年(1724)屋根替、安永3(1774)本殿並廊下修築、文化13年(1816)本殿の改修、明治22年(1889)本殿並屋根修繕となっています。 御前崎市教育委員会 社頭掲示板 |