敬満神社飛地境内社。 牧の原台地の東端部、斜面の森林に覆われた位置に鎮座し、社前からの見晴らしは良い。 仁徳天皇62年5月に楠の大木がこの地に流れ着いたという。 |
大楠神社 「日本書紀」によると昔大井川の洪水で、楠の大木(太さが十かかえ)が流れ着き川の曲角に止まった、里人はこのことを国司を通じて朝廷に報告し、直ちに倭直吾子が、派遣されて里人と共に立派な船に仕上げ、駿河湾から難波津(大阪)にまわして、御用船になったとい里人は感激して、船の御霊を祭り社を建立した。欽明三年(541)の創始といわれ「神名帳」(927)に、敬満神と共に榛原郡の五座に数えられる。そのあと、寛文・元禄・文政・嘉永年代に再建され棟札が残されている。 平成5年12月吉日 初倉郷土研究会 初倉商工会 社頭掲示板 |
大楠神社 大楠は於保久須と訓べし○祭神大己貴命、(風土記)○日本紀、仁徳天皇62年5月、遠江國司表上言、有大樹、自大井河流之停于河曲、其大十囲、本一以末両、時遣倭流吾子籠令造船、而自南海運之、將來于難波津、以充御船、○惚國風土記四十八残欠云、遠江國泰原郡大楠神社、所祭大己貴命也、欽明□□3年加新祭、圭田百三十二束三毛田、有神家鹿田氏松野氏居之、 栗田土満云、谷口村ニアリ、(参考同)今ソコヲ楠ノダイト云テ小社アリ、コレナルベシ、』一説、大井川ノ下切山村ノ内ニアリト云リ、 神社覈録 |