小高い丘の多い丘陵地帯の中、田畑に囲まれて鎭座している。 中古以来「天馬駒神社」と称していたが、明治11年2月に「比奈多乃神社」と改称された。 鎮座地の地名、比奈多之谷(現在は日向ケ谷)からつけられたものと思われる。 中古社頭廃れて往昔の面影なく、華嚴院という寺の鎮守として存在していた。 |
比奈多乃神社由緒略記 祭神 建比奈鳥命 例祭日 10月17日 由緒 当社は醍醐天皇延長5年に編纂された延喜式神名帳に登載されている城飼郡二座の一座比奈多乃神社で千有余年の歴史を有する古社である。 祭神建比奈鳥命は天穂日命(天照大神の御子)の子神で神代の昔経津主命と共に出雲国譲の時功があり使者の神軍使神として崇敬せられた神である。 此の地が土師氏の領地となった時にその祖神として祀られたものであろう。上代に於いては非常に栄えたものと思われるが中古以来社頭廃れて往時の面影はなく天馬駒神社(天狛)と言われ華嚴院の鎮守として又日向ヶ谷部落の小氏神として僅かに祭持されて明治に至り6年3月村社に列せられ同11年2月現社名に復飾したものである。 昭和36年10月17日 社頭掲示板 |
比奈多乃神社 延喜式神名帳城飼郡二座の内一座比奈多神社是なりと定む。中古より社頭廃れて往時の面影もなく、天馬駒神社と言ひ華嚴院と言ふ寺の鎭守として叉日向ケ谷部落の小氏神として僅かに保持され明治に至る。明治6年3月村社に列せられ、同11年2月現社名に復帰の件許可さる。 静岡県神社志 |
比奈多乃神社 当比奈多乃神社は醍醐天皇延長5年(西暦927年)に編纂された延喜式神名帳に登載されている城飼郡(城東郡)2座のうちの1座であり、千有余年の歴史を有する古社である。(座は神社の数え方) 祭神建比奈鳥命は天穂日命(天照大神の御子)の子神で神代の昔経津主命と共に出雲国譲(島根県出雲市に伝わる国引き神話)の時、功績があり使者として崇敬さられた神である。 創建の年は明らかではないが昭和20年(西暦1945年)までは村社として栄え行政で管理された神社であった。一説には中古において天馬駒(てんばく)神社(天狛)と言われ華嚴院の守り神として栄えたようである。 明治維新以後再度社名を比奈多乃神社として復帰(西暦1878年)し、日向ヶ谷部落の氏神として大切に保持され現在に至っている。 平成25年3月 社頭掲示板 |
比奈多神社 比奈多は假字也○祭神在所等詳ならず 式社考云、掛川駅ノ正南三里除越テ、高天神ト云フ高山アリ、山上ニ祠アリコレナルベシ、イカニト云フニ、此山ノ麓ニ日向谷ト云フ山里アルヲモテ知ル也、○国人栗田土満云、土方郷ノ内日向谷ト云処ニ寺アリ、鎮守ノ、小社アリ、-コレニヤ、」参考云、在上土方村、 神社覈録 |