創立不詳。大同2(807)坂上田村麿旧社地本宮山より遷。古代より遠江にある願い事のままにかなう神として高名。「枕草子」にも記載。泰平5(1062)源頼義が石清水八幡を勧請「八幡」と称す。戦後「事任」を復活現名称に。 境内中央に樹勢旺盛な楠があり、境内全体を覆っている。 |
由緒 創立年代不詳。一説に成務天皇(84年〜190年)の御代の創立と伝え聞く。大同2年(807年)坂上田村麻呂東征の際、桓武天皇の勅を奉じ、旧社地 本宮山より現社地へ遷座すという。延喜式神名帳に(佐野郡)己等乃麻知(ことのまち)神社とあるはこの社なり。古代より街道筋に鎮座、遠江に坐す願い事のままに叶うありがたき言霊の社として朝廷をはじめ全国より崇敬されし事は平安期の「枕草子」に記載あるをみても明らかなり。 世が貴族社会より武家社会に移るや八幡信仰が一世を風靡し、康平5年(1062年)源頼義が岩清水八幡宮を当社に勧請し、以来八幡宮を併称す。江戸期に入りては徳川幕府も当社を信仰し社殿を改築、朱印高百石余を献上す。明治以降は県社八幡神社と称せしが、第二次大戦後の社格廃止に伴い由緒ある名「事任(ことのまま)」を復活し、現在は事任八幡宮と称す。 主な文献 和歌多数のほか清少納言「枕草子」阿仏尼「十六夜日記」源光行「海道記」源親行か「東関紀行」十返舎一九「東海道中膝栗毛」「吾妻鏡」その他多数。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
事任八幡宮 創立年代未詳 大同2年(807)坂上田村麻呂東征の際 桓武帝の勅を奉じ 旧社地本宮山より現社地へ遷座すという。延喜式(927)神名帳に佐野郡己等乃麻知神社とあるはこの社なり 古代より街道筋に鎮座 遠江に坐す願いごとのままに叶うありがたき言霊の社として 朝庭を初め全国より崇敬されしことは平安朝の「枕草子」に記載あるを見ても明らかなり。 世が貴族社会より武家社会に移るや八幡信仰が一世を風靡し 康平5年(1062)源頼義が石清水八幡宮を当社に勧請し 以来八幡宮を併称す。 江戸期に入りては 徳川幕府も当社を信仰し社殿を改築 朱印高百石余を献上す 明治以降 県社八幡神社と称せしが 第二次大戦以後の社格廃止に伴い 由緒ある名「事任」を復活し現在は 事任八幡宮と称す。 宮司誉田秀之 社頭掲示板 |
事任八幡宮 掛川市指定文化財 事任八幡宮のクスノキ 平成12年2月24日指定 種別 天然記念物 所在地 掛川市八坂642−1 所有者 事任八幡宮 クスノキ(クスノキ科)は、本州の関東地方以西から九州、沖縄、そして、台湾、中国南部、インドシナと広くに分布する常緑高木(じょうりょくこうぼく)です。成長がさかんで、長命で、高さ30m程の大木になるので、古くから神社や寺院に植えられ、巨樹、名木になっています。 春に新芽が伸び出すと、間もなく古い葉は落ち、若葉は淡紅色、燈黄色などから淡緑色の美しい色に変わります。花と果実かつきますが、あまり目立ちません。 クヌノキは、木全体に芳香があって、耐久性が高いことから内装材、社寺建築、建具、家具、楽器などの用材に使われ、古代には丸木舟にも使われていました。また、クスノキの葉や幹根などを蒸留して、固形に仕上げた樟脳は、防虫剤として使われています。 事任八幡宮のクスノキは、高さ31m、目通り6m、根回り19.3mの大きさで、県内でも大木に含められます。樹勢は良好で、枝は北側をのぞいた三方に大きく広がり、見上げる人を温かく包み込むような、雄大で、とても優しい姿をみることができます。 掛川市教育委員会 社頭掲示板 |
事任八幡宮御由緒 祭神 己等乃麻智比売命(天児屋根命の母神) 言霊の神・興台産命(こととむすびのみこと)の后神 息長足比売命 第十四代仲哀天皇の皇后さまで神功皇后 誉田別命 第十五代応神天皇で神功皇后の御子 玉依比売命 第一代神武天皇の母神さまで、海神の大綿津見神(おおわたつみのかみ)の娘神 事任八幡宮は、掛川市八坂に御鎮座の遠江国一の宮です。 成務天皇の頃(190年頃)に御鎮座され、大同2年(807)に坂上田村麻呂東征の際に、桓武天皇の勅を奉じ、旧社地本宮山より現在の地に御遷宮されたと伝えられております。 古くは「己等乃麻智神社」或は「任事社」と尊称され、延喜式神名帳(927)に記載されている式内社であり、遠江に坐す願い事のままに叶う有り難い言霊の社として京の都にも知れ渡り、朝廷をはじめ全国より崇敬されていた事は、清少納言の「枕草子」に〈ことのまま明神いとたのもし〉とあることからも伺えます。 貴族社会より武家社会に移ってからは、源氏の守護神の八幡信仰が隆盛し、康平5年(1062)に源頼義が石清水八幡宮を勧請し八幡宮を併称するようになりました。 「東下り」の旅人にとって、東海道筋で箱根に次ぐ難所といわれた佐夜の中山の手前に鎮座することからも、道中の安全を願っての参拝者も多く、歌枕になっている事からも和歌も多く読まれ、「十六夜日記」「東関紀行」「海道記」「岡部日記」など多くの紀行文に記載されております。 例祭は旧暦の8月15日に斎行しておりましたが、現在は、敬老の日と直前の土・日曜日の三日間とし、土曜日は宵祭・日曜日は例祭・敬老の日は神輿渡御を斎行しております。 由緒書 |