七ツ森神社
ななつもりじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】郡辺神社 遠江国 山名郡鎮座

   【現社名】七ツ森神社
   【住所】静岡県袋井市国本2568
       北緯34度45分23秒,東経137度56分3秒
   【祭神】玉依姫命 大己貴命 別雷命 久努国造
   【例祭】10月第2土曜日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】明治6年村社

   【関係氏族】久努国造
   【鎮座地】不詳

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「稲荷社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】稲荷神社

国道一号線と旧東海道の間に鎮座する。
この地は久津部村の内で旧東海道に添つて七つの森が点在し、そこに稲荷社が祭られているだけであつた。
明治8年に北側のひよどり山の地にあつた八幡神社を合祀したが、この八幡神社は久津部村廻森にあり、クツべとグンベと似ているため郡辺神社に比定された。


七ツ森神社

国本字森廻2,586番
祭神 久努国造 大己貴命
相殿 玉依姫命 別雷命
   相殿賀茂神社は延喜15年(915)山城国賀茂大明神を勧請
境内社 七ッ森稲荷社 倉稲魂命
    明治七年字森廻より遷座
    大日神社 天穂日命
    明治七年 広岡田所より遷座
末社 神明神社 天照大神
   白山神社 菊理姫命
   天白神社 猿田彦命
   夷神社  姪児命
   金刀比羅神社 金山彦命
   末社五社は明治7年合祀
   住吉神社
   飯高神社
   未社二社は明治7年北原川宇佐八幡社へ遷座
由緒
創建年代不詳、往古の郡辺神社と云う。
大化の改新前久努国あり、印幡足尼を国造となす。国造は世々に久努に住す。
為に国造の遺霊を郡辺村に祀り祭神となす。927年完成した延喜式神名帳に「遠江国山名郡式内郡辺神社」と所載す。
後世神社は原野谷川の大洪水にて宝物古文書等全てを流失。社は高部村に漂着し村人により厚く祀られ明治34年渋垂神社に合祀さる。流失年代不詳。
以来当神社の社名は世々に於いて変り久努神社、賀茂神社に偲ぶ事か出来る。
徳川時代は朱印高七石、明治6年村社に列格し昭和20年宗教法人「七ッ森神社」の認証を受け静岡県十三等級社となる。
平成5年3月放火により社殿を焼失す。
社殿は同年10月再建したるものなり。

社頭掲示板



七ツ森神社

七ツ森は田圃の真ん中に残る七つの塚として、尾張藩(愛知県)藩士高力猿猴庵(こうりきえんこうあん)が天明6年(1786)に、東海道を自ら旅して記した「東街便覧図略」に描かれています。
 その中で一番大きな塚の上に描かれているのが現在の七ツ森神社です。  
 この七つの塚(森)には悲しい伝説が伝わっています。伝説では桓武天皇の頃、日坂宿に出没していた怪鳥を退治するために朝廷から派遣された七人の武士は、退治出来ずに返り討ちにあい命を落としてしまいました。哀れんだ村人が墓を造り彼らを葬りました。その墓が七つ森だと伝えられています。
 神社には古墳時代にこの地方を治めていたと考えられる久努国造が祭神として祀られ、周辺に久努、久野、久能そして国本などの地名が見られます。久努国造の名を記した扁額が納められていたり、七つの森(塚)は古墳とも考えられることなどからも、この場所は久努国造にゆかりの深い場所であったと考えられます。    
平成10年3月25日
袋井市教育委員会

社頭掲示板



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