太田川東岸、下飯田橋の北に鎮座する。 飯田は齊部田の意であるから、大きな神社のあつた所であろうという説がある。 昭和49年に国の重要無形民俗文化財に指定された舞樂八段が伝わっている。これは摂津国天王寺から伝えられたもので、中世の面影を残した貴重な舞樂である。 現在天王寺にはその舞は伝えられていない。 |
由緒 私達の氏神神社は古来から式内神社(朝廷から幣帛料を賜わる)と称えられるお宮であって其の起こりは昔からの言い伝えによると、慶雲3年6月(今から700年前)に始めてお宮として祭られたのでありますが、天明年中(今から180年前)にその時の神主村松求馬と云う方の御宅が焼けたので神社のいわれ等を書いた書類が皆焼けたので、はっきりした事がわからないが、遠江風土記伝(遠江の昔の地理や歴史を書いた本)といふ本に山名神社の事が次の様に記されて居るのであります。 即ち「周智郡飯田村式内山名神社祭典は6月15日に行い舞楽を奏す」とあります、これに依っても当神社は相当昔からの立派なお宮であることが解るかと思われます。 尚此の風土記伝に記されてある舞楽と云ふのは現在に至まで大祭に行なはれる八段(八初児(やつはち)・神子舞(みこまい)・鶴舞・獅子舞・かりょうびん・龍舞・蟷螂舞(かまきりまい)優填獅子(うでんしし))の舞楽の事であります。 此の舞楽は明応5年(今から460年前)に摂津の国天王寺(現在の大阪)から伝来されたもので文録4年(今から295年前)から寛文6年(今から225年前)まで約70年の間中断したのでありますが、其の年に摂津の国天王寺へ当村の村松孫兵衛外壱人が行って再び伝習に行って今日まで毎年大祭の時には神輿の渡御と共に此の舞楽が執り行はれるといふ事実でも、一層私達の氏神神社の由緒は、遠い昔から私達の祖先が大変に崇敬篤いお宮であることが明らかであります。 尚私達のお宮は今川氏から徳川氏に至まで朱印高20石3斗云ふ神田を寄贈されて居たのであります。 次に、建物の神殿は、享保17年(今から240年前)秋9月に御修造されたものであります。 次に祭神について申し上げると、主祭神として素盞嗚命を御祀りして、応神天皇、菊理姫命を併せて御祀りしてあります。 境内の末社として磯部神社(祭神天照大神)豊受大神宮(祭神月読命)が御祀りしてあります。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
山名神社の由緒 1.鎮座地 静岡県周智郡森町飯田太田2590番地 2.名称 式内山名神社(別名)飯田村牛頭天王社 3.祭神 素盞嗚命 併祭 応神天皇 菊理姫命 摂社 磯部神社(祭神 天照皇大神)豊受大神宮(祭神 月読命) 合祀 八幡宮(元禄12年(1699)旧田中村より合祀) 白山大権現(天明6年(1786)旧天方村より合祀) 4.御神殿創建 人皇第42代文武天皇の御宇、慶雲3年(706)創建 5.現在の御神殿 人皇第114代中御門天皇の御宇享保17年(1732)秋9月修造 6.例祭 遠江風土記に「周智郡飯田村式内山名神社祭日は6月15日に行い、舞楽を奏す」とあるが、田植時の為7月14・15日に変更(現在はその近くの土用・日曜ときめる) 7.舞楽 明応5年(人皇103代後土御門天皇御宇)(1496)摂津の国(今の大阪府)天王寺より伝来。 文禄4年(1595)から寛文5年(1665)まで70年間中絶せしが、翌寛文6年摂津の国天王寺に当村の村松孫兵衛外1名が行き再び伝習を受け毎年大祭に奏上する。 @八初児 A神子舞 B鶴舞 C獅子舞 D加陵鬢 E龍の舞 F蠍呼 G優填獅 8.舞楽無形文化財に指定 昭和41年10月7日静岡県教育委員会より山名神社天王祭舞楽を無形文化財に指定される。 9.昭和42年1月、山名神社天王祭舞楽保存会を結成する。 10.昭和44年4月1日、NHKが国の重要無形文化財とみとめ撮影し永久保存となる。 11.昭和45年7月、御神殿の御修造 12.昭和46年9月18日、関東ブロック民俗芸能大会に静岡県代表として出演。 13.平成25年10月、式年遷宮伊勢内宮にて奉納。 平成26年7月吉日 山名神社 社頭掲示板 |
山名神社 山名神社は、飛鳥時代の慶雲3年(706年)創建といわれ、主祭神は、 素戔嗚尊(すさのおのみこと) 。太田川流域にある疫病よけの夏祭りを行う神社で、京都の祇園社(八坂神社)や愛知県の津島天王社(津島神社)と同じ神様を祀っています。 江戸時代には「 牛頭(ごず) 天王社」とよばれ、明治になってから正式に山名神社と称するようになりました。地元の人たちは今でも「飯田の祇園さま」、「お天王さま」と古い名称でよんでいます。 現在の御神殿は享保17年(1732年)に修造したものです。 山名神社天王祭舞楽 【国指定重要無形民俗文化財】 山名神社の舞楽は、地元では「お舞」とよばれています。室町時代中期の明応5年(1496年)に摂津の四天王寺(今の大阪市)から伝えられたものといわれ、京都八坂神社の祇園祭の中世の芸能要素を持った舞です。 舞は8段で構成されていて、特に昆虫のかつらを付けて舞う 「 蟷螂 ( とうろう ) の舞」(カマキリの舞)は、全国でもめずらしい舞です。小國神社、天宮神社の舞楽とあわせて「遠江森町の舞楽」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。 この舞楽は毎年7月中旬の祭り(飯田の祇園祭り)で奉納されます。祭には、屋台8台の引き回しも行われます。 森町HP |
山名神社天王祭舞楽 国指定重要無形民俗文化財 昭和57年1月14日指定 遠江森町の舞楽 山名神社天王祭舞楽(祇園祭のお舞) 一、山名神社 明治以前、当社は飯田牛頭天王社と称し下飯田村松氏が代々神主を世襲した。 天王(祇園)社は夏越の疫神追送を本義とし、宇刈郷安養山西楽寺を中心とした本末寺、鎮守社による祇園会が古くから盛大に執り行われ、故に山梨郷牛頭天王社(山名神社)とともに二社が現在も祇園祭を執行している。 二、祇園のお舞 お舞は、「八初児・神子・鶴・獅子・迦陵頻・龍・蟷螂(かまきり)・優填」の八段で`、「八初児と獅子」が母体となって他の舞曲を変成している。 また「八初児」は、中世京都祇園祭の鉾や舞車上で舞われていた鞨鼓稚児舞で全国的に見でも極めて貴重な伝承形態を残している。また「獅子」は、かって龍のような曲芸的舞で「欄千へ飛びて欄干に取り付く」とある。 当地への伝来は、大永(1521〜)以降、今川氏親の遠江守護奪回により遠江国府祇園会復興に関係しつつ、西楽寺やその配下に伝えられたものと考えられ、元禄14(1701)年、村松孫兵衛の記した「指南書」では「丙午(慶長11(1606)年)、摂津国(大阪市)天王寺にて伝来」とある。その後寛文、延宝、天和、貞享年澗(1661〜87)に西楽寺宥香法印の助力を得て徐々に祭礼の基盤が整えられた。 三、祭礼・お舞の奉納と屋台 祭礼日 7月14日・15日に近い土・日曜日 お舞 午後4時過ぎ〜同9時過ぎ迄 屋台 全八台。古来、お舞と屋台(舞車)は一体であり、舞の終了まで神社境内に留まることを本来とし、かつては、屋台の帰村帰着は夜中であった。 平成22年6月15吉日 山名神社 山名神社天王祭舞楽保存会 森町教育委員会 社頭掲示板 |
山名神社本殿 県指定有形文化財(建造物) 山名神社本殿 附 棟札(享保17年9月)一枚 山名神社は社伝によると、慶雲3年(706)の創建と伝承され、中世のことは詳かではない。近世は、飯田牛頭天王社と称し、徳川家から高二十石の朱爾を賜った。 現在の本殿の建立時期は、棟札で享保17年(1732)9月と確認できる。 棟札には、「奉修造祇園牛頭天王社一宇」と記され、大工は「鈴木安右衛門」と「鈴木傳四郎」の記名があり、「鈴木安右衛門」は県指定有形文化財の西楽寺本堂(袋井市山梨享保4〜15年の墨書が残る)の棟梁でもあつた。 建立以後の修復については詳細な記録がなく、構造本体部の改変はないが、縁廻り(浜床)に一部改変の痕跡がみられている。又屋根は現在銅板葺きとなつているが、昭和6〜13年時の古写真に本殿の屋根の一部が写つており、昭和6年以前は柿葺(トチ葺)であつたことが判る。一方他の文書には檜皮葺と記されているものもある。 この建物は棟札の記名と建物の建立時期が明確であり、その手法・技法も当時代の流儀を良く現している。 蟇股上に並ぶ巻斗の収めや、内陣に収まる通肘木の工法は本格的なものであり、又外部の彫刻及び彩色はこの時代の特徴を良く表現している。(軸部の塗装は後補) 本殿 三間社流造、鋼板葺、桁行三間、奥行二間 前室を外陣、後室を内陣とし、宮殿を配し祭神を祀る。 身書の三万に切目縁を廻し、高欄をつけ両脇に脇障子を設ける。 正面中央に木階五級を備え、登嵩欄で擬宝珠柱を立て、切目縁の縁葛は、縁束上の平三ツ斗にて支えられる。 妻側も柱頭を出組(出三ツ斗)とし、虹梁を架け、中央に笈形、その両脇に太瓶束を建て二重の虹梁を架ける二重虹梁太瓶束式の妻組としている。 平成13年7月 森町教育委員会 社頭掲示板 |
山名神社 山名は郡名に同じ、和名鈔(郷名部)山名、(夜萬奈)○祭神詳ならず 式社考云、仙梨村ナル天王ナリト、未詳 神社覈録 |