神妻神社
かづまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】馬主神社 遠江国 周知郡鎮座

   【現社名】神妻神社
   【住所】静岡県浜松市天龍区佐久間町半場 746
       北緯35度4分8秒,東経137度47分59秒
   【祭神】武甕槌神 (配祀)大国魂神 伊弉冉神
   【例祭】10月16日前の日曜日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】宝亀2年(771)創祀
       慶安3年(1650)鹿島大明神と称す
       元文元年(1736)神妻大明神と称す
       明治3年馬主神社と改称
       同6年神妻神社と改称郷社
       同40年神饒幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「鹿島明神」と称していた
   【社殿】本殿流破風造柿葺
       幣殿・拝殿

   【境内社】

天龍川と大千瀬川の合流点の南に聳える神妻山の中腹に鎭座する。


由緒

沿革
宝亀2年(皇紀1430世紀770)11月に創立され、関野大明神、鹿島大明神、神妻大明神また馬主神社とも称えられてきたが、明治6年3月に神妻神社と改められた。
ご神徳
日本の建国に大功を立てられた神様で、強い心と身体を願い、運を切り開く神様として厚い信仰があります。
祭儀
祈念祭2月17日、例祭10月16日、新嘗祭11月23日、歳旦大秡月次祭

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




馬主神社

馬主は宇麻奴志と訓べし〇祭神詳ならず
式社考云、大久保村八幡宮、(参考同)此鳥居前ニテ近村ノモノ馬ヲ索来リ、灸ヲスエ爪ヲ切毛ヲ切ナドス、其ハ此神深ク馬ヲ愛玉フユエニ、昔ヨリ此神前ニ來リテ、カクハスルトゾ、コヲ思へバ馬主神社ハコレナルベシ、一説ニ、山住村ノ西天龍河ノ西神妻社ナルベシ、

神社覈録



郷社 神妻神社

祭神 武甕槌神
相殿 大國魂命 伊弊冉尊
宝亀2年11月の勧請なりと、中古関野大明神と称せしが、慶安元年11月鹿島明神と改め、元文元年11月、更に神妻大明神と改む、然るに、当社は式の馬主神社なりとの故を以て、明治3年12月、更に馬主神社と改めしも、6年3月、再び神妻神社と称し、郷社に列せらる。神妻は地名なり、神妻と称するに付き当社御事略伝に云く、
「茲に一人の巫女あり、今に市御子と伝ふ。世嗣なきを憂へ、神妻明神(即ち鹿島神宮に坐す建甕槌大神なり)に祈請する事二十日間なりしと云ふ、或夜月光懐に入ると思ひ不可思議にも懐胎せり、其出生しは男子にして、月花盛家と称す、其人42歳の時行衛不明となり、更に音信なく、明暮憂へ居たるに、或夜神告げて曰く、巫女世嗣なきを憂へ、神に祈請する事久し、故に顕世に出現したるなり、又再帰ることなけん、宜しく吾神霊を斎き祭れと、因りて祠を建て盛家霊神と崇敬せり、遠近の人々疱瘡神と斎き奉る大神なり、故に地名を神妻と名づけ姓を月花とそ謂ふ、其市御子は神の母なりとして、神妻神社の側に墳墓あり、云々、
当社が式の島主神社(周智郡)と称せしは、遠江国風土記傅にして、同書に云く、半場馬引淵狭石、神妻明神社、云々、式内馬主神社」と、馬主神社に付いては、数説ありて、學者の常に迷ふ所なりしが、特選神名牒は、風土記伝と注進状とに拠りて、左の如く極めて無造作に断案を下せり、
今按、この所在、一説に、奥山合相月村諏訪神社と云説もあれど、こは風土記傳に、奥山は、往古信濃国なれば、三代實録にも見えたる馬背神なりと云へば、別なり、又一説に、大久保村八幡は、深く馬を愛し玉ふ神とて、近村のもの、鳥居前に馬を牽来て灸をすゑ、爪毛を切りなどすることあるを思へば、島主神社ならんと云へど。風土紀伝も、注進状も、共に此地と定めたれぽ、之に従へり」
元と朱印高二十七石五斗を有せり、
社殿は本殿、雨覆兼拝殿、其也神樂殿、神饌所等を具へ、境内は元と山林方五十町のよし風土記伝に見えたるが、今は1003坪(官有地第一種)神妻山にあり、境地齢五百に垂んとする大樹枝を交はして森々たり、当社の宝物としては、徳川家康の奉納に係る太刀、軍配団扇、及片桐権右門家正の奉納に係る具足、其他少からず。

明治神社誌料



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