天龍川右岸平坦地、飯田小学校西に鎮座する。 稲荷であるが狐無く、赤鳥居も無い。 |
稲荷神社 祭神 郷社稲荷神社 倉稲魂命 相殿 保食命 大国主命 大宮姫命 大田命 由緒 当神社ハ延喜式内長上郡五座ノ一ニシテ子倉ノ神社ト称ス創立年度詳カナラズ雖モ本村子倉ト称フル字アリ文化11甲戌年9月再建ノ棟札アリ往古ヨリ本村崇敬ノ産土神ニシテ神徳広大霊験殊ニ著シク信仰深大ナリ文録2年九月11日堀尾澤之介殿御墨附ヲ以テ当神社神領トシテ上田一反歩御寄進コレアリ其後慶長6年2月15日伊奈備前守忠次殿本社神領トシテ旧高四石八斗御寄附相成爾後慶安元年徳川家光公右神領ヲ御朱印ニ改メ御下付。天保10年9月徳川家慶公迄継続御下賜相成明治維新ノ際総テ奉還セリ。 明治6年3月5日 郷社二列ス 明治40年1月12日 供進指定 社頭掲示板 |
稲荷神社 祭神 郷社稲荷神社倉稲魂命 相殿 保食命 大国主命 大宮姫命 大田命 由緒 当神社ハ延喜式内長上郡五座ノ一ニシテ子倉ノ神社ト称ス創立年度詳カナラズ雖モ本村子倉ト称フル字アリ文化11甲戌年9月再建ノ棟札アリ往古ヨリ本村崇敬ノ産土神ニシテ神徳広大霊験殊ニ著シク信仰深大ナリ文録2年九月11日堀尾澤之介殿御墨附ヲ以テ当神社神領トシテ上田一反歩御寄進コレアリ其後慶長6年2月15日伊奈備前守忠次殿本社神領トシテ旧高四石八斗御寄附相成爾後慶安元年徳川家光公右神領ヲ御朱印ニ改メ御下付。天保10年9月徳川家慶公迄継続御下賜相成明治維新ノ際総テ奉還セリ。 明治6年3月5日 郷社二列ス 明治40年1月12日 供進指定 社頭掲示板 |
朝日波多加神社 朝日は阿左比と訓べし、波多加は假字也、○祭神詳ならず〇飯田村に在す、今稻荷社と称す、(土人説) 神社覈録 |
飯田町稲荷神社の由緒 神社庁浜松支部内には、特三等級から十五等級の神社が238社ありますが、その中で飯田町稲荷神社の等級は、九等級です。 飯田町稲荷神社には、京都の伏見稲荷神社から神様を分けてもらいまつってあります。 まつってある神様は蒼稲魂命(ウガノミタマノミコト)といいます。 「蒼稲」(うがの)とは食(うけ)の意味があって食科を担当して稲の生育を守る神様です。 お参りしてお願いごとをすると次の五つのお願いをきいて日々の生活を守ってくれています。 @人々の生命を守り育ててくれる Aお米や野菜を守ってくれる ◎商売を繁盛させてくれる C一年の幸福を守つてくれる D人々のけがれや悪いことを取り払ってくれる 飯田町稲荷神社が建てられたのはいつかわかっていませんが、延暦20年(西暦801年、1213年前)に建てられたという説もあります。 現在の稲荷神社の本殿は文化11年(西暦1814年、200年前)に建て直されたと棟礼(本殿天井裏にある木の札)に書かれています。 平成26年(西暦2014年)に秋まつりと兼ねて再建二百年祭が行われます。 また本殿の西隣にある建物は、津島神社といい(合併社ともいわれる)飯田の近くにある氏神様を一箇所に集めたものです、(これは明治の初めに金原明善(きんはらめいぜん)の提案で建てられました。 しかし、氏子の願いによって現在のようになっています。 飯田町稲荷神社では。年に六回、次のお祭りをしています。 一月元日祭 (がんたんさい) 一年の始まりを祝い、一年健康に過ごせるようにお祈りします。 二月 祈念祭(きねんさい)「としごいのまつり」ともいいます。 お米や野菜など農作物がたくさん採れるようお祈りしまず。 六月 大祓式(おおはらいしき) 知らず知らず犯した罪やけがれを払つて身を清めて元気に過ごせるようお祈りします。 八月 祇園祭(ざおんまつり)(夏まつり) 平安時代、祇園の神様に災厄を取り除いてくれるよう祈つたのが始まりです。 十月 宵祭りと例大祭(よいまつりとれいたいさい)(秋まつり) 本祭りの前の夜に宵祭りを行いまず、まつつてある神様の誕生日など特別な日に行う一年で最も重要なお祭りです。 十一月 新嘗祭(にいなめさい) お米など農作物の豊作に感謝し、祝つて行うお祭りです。 十二月 大祓式(おおはらいしき) 六月の大祓式と同じ、一年の罪やけがれを払つて身を清めて元気に過ごせるようお祈りします。 この式に続いて元旦祭になります。 例大祭は、飯田町稲荷神社の最も重要なお祭りで、苺年10月22日に行われることになっていますが、最近では10月第三の土曜日・日曜日に行われます。 土曜日に宵祭り(よいまつり)日曜日に本祭りとして行なわれています。 2014年3月 飯田町稲荷神社 社頭掲示板 |
郷社 稲荷神社 祭神 倉稻魂命 創立年代詳ならず、但し社傅には式内社子倉神社と称す、当社が式内社なりや否やは、既に式内社摘考に(子倉神社、飯田村にある稲荷なりといへども、未詳」の文字を用いたるが、風土記伝に「子倉神社今人謂上飯田村稲荷明神式内子倉神社者、地理違、飯田当長下郡といひ、特選神名牒には、 「今按、注進状に、長上郡飯田村字子倉にます稲荷神社といへども、風土記伝に云々、子安明神即本社にして、云々、飯田村も是より移せし社なりと云へぱ、今はこの説によりて記せり、尚よく考べし」 と記せり、旧と朱印高四石八斗を有せり、明治6年3月郷社に列す、明治7年近郷鎮座の十三社を合併せしが、12年11月より13年5月に至る間に於いて、復旧若しくは合祀替となれり。 社殿は本殿、雨覆、幣殿、拝殿を具へ、境内は462坪(官有地第一種)を有す。 明治神社誌料 |