六所神社
ろくしょじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】朝日波多加神社 遠江国 長上郡鎮座

   【現社名】六所神社
   【住所】静岡県浜松市東区半田山1-21-1
       北緯34度46分11秒,東経137度44分44秒
   【祭神】表筒男尊 中筒男尊 底筒男尊 表津少童尊 中津少童尊
       底津少童尊 伊弉諾尊 伊弉冉尊 天照皇大神 月夜見尊 素盞嗚尊 蛭子尊

   【例祭】10月5日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創建年代不詳
       天正15年12月再建
       明治12年8月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「六所明神」と称していた
   【社殿】本殿
       幣殿・拝殿・社務所

   【境内社】稲荷神社・八雲神社

浜松医科大学病院東に鎮座する。
当社は朝日山の中腹に有り旭日に面し且つ村名も往昔波多村と言い、地名、地形からみて朝日波多加神社であるとする。
六所神社の鳥居には「朝日宮」という看板が掲げられている。


当社由来〜津島様と、夏の「拝み」と本祭り〜

明治22(1889)年、半田町川原地区で悪疫(腸チフス?)が流行し、死者が出た。戦々恐々とするも手立てなく、禊の上は神助に頼るほかなしと評議一決、前年9月1日に名古屋方面が開通した東海道本線で現愛知県津島市にある悪疫消除で名高い津島神社へ代表らが参拝し、御祭神建速須佐之男命の御神霊を持ち帰り、ここに祀ったのが始まりである。
当社には「拝み」という神事がある。毎年7月の第四土曜日に、川原地区の年番宅に同地区の住民が集まり行われる疫病封じである。開催日は、高温多湿で疫病の流行り易い夏を選んでいるのが第一の理由であろうが、同日に行われる尾張津島天王祭に倣っているとも考えられる。
古老曰く、前日又は当日の日中に、米津の浜(浜松の海岸にある砂浜)に赴き海に体を沈めて禊をし、浜砂を持ち帰った。帰り道、お供えにとスイカを買って帰ったこともあり、神事のためとは言え、夏の小旅行という心持ちで楽しみでもあった。年番の家では、床の間に次の十七柱と建速須佐之男命の神号(神々の名前)の書かれた掛け軸二幅を掛け、御神酒、塩、米、燭台と、持ち帰った浜砂を供える。その神号とは即ち、
掛軸の一 A高皇産霊神 D豊受大神
     @天之御中主大神 E天照皇大神
     B神皇産霊神 E六所大神 
掛軸の二 津島神社 建速須佐之男命
地区の住民は、いつもの様に日の暮れるまで農作業などした後・・・・一同集まり、十七柱を拝し神迎えすると、疫病退散を願って「南無津島牛頭天王と百度、唱えては礼拝するのである。年が明けて4月第一土曜には、当地にて「本祭り」と称して神主様により神事を行い、餅投げなどを行っている。
なおこの牛頭天王とは、神仏習合の時代には須佐之男命や薬師如来が姿を変えたものとされていたが(本地垂迹説)、明治に入り神仏分離令により、愛知の津島神杜では牛頭天王ではなく須佐之男命が御祭神となった、ここ半田では、ちょうどこの過渡期に祀られ始めたためか、古き様式の名残あるまま、今日まで続いてきたようである。また浜砂を持ち帰り、供える風習は、出雲大杜の摂社であり須佐之男命を紀る素鷲社に稲佐の浜砂を置くことを想起させる。
世界的な流行を見せる新型コロナウイルス感染症拡大の第五波が終息したとみえる今日、先の古老の手により社を修繕し、改めて悪疫退散、世の安寧を願い、ここに記すものである。
令和3年11月30日 大安吉日

社頭掲示板



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