服織神社
はたおりじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】服織神社 遠江国 長上郡鎮座

   【現社名】服織神社
   【住所】静岡県浜松市東区豊町2501
       北緯34度46分19秒,東経137度48分15秒
   【祭神】穗日命 (合祀)建御名方命
       『神名帳考証』多奈波太姫命
       『神祇宝典』天棚機姫神
       『神社覈録』「祭神詳ならず」
       『巡礼旧神祠記』「祭神未考」

   【例祭】8月25日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創建は和銅元年(708)
       慶長6年(1601)朱印高十一石社領寄進
       明治8年2月郷社
       同43年9月神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「権現社」「若一王子」と称していた
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿・社務所・神庫

   【境内社】招魂社・秋葉神社

豊西小学校北、豊田川西岸近くに鎮座する。
和銅元(708)出雲の国より勧請。当時天竜川沿いのこの地には多くの織物職人が住んでいたという。


服織神社由緒

当社は、今からおよそ1280年前、元明天皇の和銅元年(708)出雲国から、神様をお迎えして造られたといわれている。
祭神は「天穗日命」 (織物・文学の神)と「建御名方命」(織物の機械の神)で、その当時は、天竜川沿いのこの辺には、織物に関係した職人が集団で住んでいたらしい。
当社は、延喜式内神名帳にのせられており、明治8年(1876)郷社に列せられ、8月25日の例祭日には、幣帛使と呼ばれる人が見えて、紅白の絹布を献上し、豊西村長をはじめ、小学校の児童達も参列した。
昭和30年(1955)本殿が改築された。
昭和52年(1977)拝殿が改築された。
昭和56年(1981)静岡県神社庁より社格十等級に認証されている。
平成3年8月吉日

社頭石碑



歌碑

社頭月 小栗廣伴
紅葉の夜の 綿もあらはれて 羽鳥の宮に すめる月哉

社頭掲示板



はたおり神社

このお宮は、はたおり神社といい、式内社です。
式内社とは、廷喜式(廷長5年、927年)の神名帳にのせられている選ばれた神社のことです。
近隣には数少ない格式の高いお宮です。

社頭掲示板



服織神社

服織は波登利と訓べし○祭神詳ならず○羽鳥村に在す、今若一王子権現と称す、今豊田郡に属す、(式社考)例祭、月 日、○式廿四、(主計上)遠江國、呉服綾白廿匹、赤十五匹、
類社
大和國城下郡服部神社の條見合すべし

神社覈録



郷社 服織神社

祭神 天穂日命
別殿 諏訪神社 祭神 健御名方命
旧と若一王子とも称せり、創立年代詳ならずと雖も、古老相伝ふ、和銅年中、出雲国より勧請云々、当社は延喜の制小社に列せられ、神名帳に、遠江国長上郡服織神社と見えたり、当社が式の服織なることは、學者の一致する所なれば、左に摘考を引いて他は一々や掲げず、
「服織神社、羽島村にある若一王子是なり、然るに、羽鳥村は豊田郡なり、豊田は新郡なれば、古昔は長上郡なること著し」
朱印高十一石、別殿諏訪神社除地高一石四斗、明治維新社号を復旧して、服織神社と称し、明治8年2月郷社に列せらる。
社殿は本殿、別殿、及び拝殿を具へ、境内は689坪(官有地第一種)を有す、因みに云ふ、当社祭神に付き、特選神名牒に云く、
「今按、社傳、祭神天穂日命とあれども、服織ははたおりの義にて、服部に同じ、大和城下郡服部神社祭神天御杵命と云へば、此社も同神なるべし」

明治神社誌料



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