豊西小学校北、豊田川西岸近くに鎮座する。 和銅元(708)出雲の国より勧請。当時天竜川沿いのこの地には多くの織物職人が住んでいたという。 |
服織神社由緒 当社は、今からおよそ1280年前、元明天皇の和銅元年(708)出雲国から、神様をお迎えして造られたといわれている。 祭神は「天穗日命」 (織物・文学の神)と「建御名方命」(織物の機械の神)で、その当時は、天竜川沿いのこの辺には、織物に関係した職人が集団で住んでいたらしい。 当社は、延喜式内神名帳にのせられており、明治8年(1876)郷社に列せられ、8月25日の例祭日には、幣帛使と呼ばれる人が見えて、紅白の絹布を献上し、豊西村長をはじめ、小学校の児童達も参列した。 昭和30年(1955)本殿が改築された。 昭和52年(1977)拝殿が改築された。 昭和56年(1981)静岡県神社庁より社格十等級に認証されている。 平成3年8月吉日 社頭石碑 |
歌碑 社頭月 小栗廣伴 紅葉の夜の 綿もあらはれて 羽鳥の宮に すめる月哉 社頭掲示板 |
はたおり神社 このお宮は、はたおり神社といい、式内社です。 式内社とは、廷喜式(廷長5年、927年)の神名帳にのせられている選ばれた神社のことです。 近隣には数少ない格式の高いお宮です。 社頭掲示板 |
服織神社 服織は波登利と訓べし○祭神詳ならず○羽鳥村に在す、今若一王子権現と称す、今豊田郡に属す、(式社考)例祭、月 日、○式廿四、(主計上)遠江國、呉服綾白廿匹、赤十五匹、 類社 大和國城下郡服部神社の條見合すべし 神社覈録 |
郷社 服織神社 祭神 天穂日命 別殿 諏訪神社 祭神 健御名方命 旧と若一王子とも称せり、創立年代詳ならずと雖も、古老相伝ふ、和銅年中、出雲国より勧請云々、当社は延喜の制小社に列せられ、神名帳に、遠江国長上郡服織神社と見えたり、当社が式の服織なることは、學者の一致する所なれば、左に摘考を引いて他は一々や掲げず、 「服織神社、羽島村にある若一王子是なり、然るに、羽鳥村は豊田郡なり、豊田は新郡なれば、古昔は長上郡なること著し」 朱印高十一石、別殿諏訪神社除地高一石四斗、明治維新社号を復旧して、服織神社と称し、明治8年2月郷社に列せらる。 社殿は本殿、別殿、及び拝殿を具へ、境内は689坪(官有地第一種)を有す、因みに云ふ、当社祭神に付き、特選神名牒に云く、 「今按、社傳、祭神天穂日命とあれども、服織ははたおりの義にて、服部に同じ、大和城下郡服部神社祭神天御杵命と云へば、此社も同神なるべし」 明治神社誌料 |