遠江国風土記伝には、若倭神社の所在地は「申堂(庚申寺)及び六所神社等その遺跡か」とあるが、その後庚申寺近くの八幡神社が若倭神社と判明する。 |
八幡神社 若倭の名は、延喜式に麁玉郡式内四社の一社「若倭神社」とあり、若倭部の氏族神と奉齋されていたと思われる。 遠江国風土記伝には、若倭神社の所在地は「申堂(庚申寺)及び六所神社等その遺跡か」とあるが、その後庚申寺近くの八幡神社が若倭神社と判明する。 約1200年前の郷土を思い、由緒あるこの八幡神社をお守りしている。 静岡県神社庁 |
万葉集歌碑 天平勝宝7年(755)2月、万葉集の編者大伴家持は九州へ防人として派遣される東国の若者たちから和歌を集めました。麁玉郡(あらたま)から徴兵された若倭部身麻呂は わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず (妻は私をたいへん恋い慕っているらしい 水を飲もうとすると水面に妻の面影が映って見えてわすれられない) と妻と別れてきたつらさを詠っています。この若倭部身麻呂は麁玉郡の役人の子ですが、その役所である郡家はこの付近にあったという説もあります。また、江戸時代の終り頃、この八幡神社の前身の若倭神社に奉納された幡や額、釣燈籠も保存されています。 昭和54年7月 浜北市教育委員会 社頭掲示板 |