尾根の頂上付近にあり。参道は自然のまま、登るのは大変である。 明治の初めまで観世音を併せ祭り、「高根山観音」と呼ばれていた。 拝殿は足利時代の文亀2(15022)年の造営。 拝殿背後の岩の上の社は、向かって右が高根神社本殿、左が岩本神社で、高根神社の守護神とされていますが、その名の示す様に、古の巨石信仰の名残りと思われる。 |
高根神社 ●高根神社・本殿 ●心子女神 式内 高根神社 祭神 保食神 祭日 初午の日 岩本神社 祭神 岩本大神(天狗) 蚕養神社 祭神 稚産霊神 高根神社は、1000有余年前から祭られ、初めは多賀神社といわれていましたが、その後、明治の初めまで観世音を併せ祭り、高根山観音と呼ばれていました。 拝殿は足利時代の文亀2(1502)年の造営といわれ、総欅造りで、茅葺きでしたが、昭和の末、銅板にしました。 背後の岩の上のお社は、向かって右が高根神社本殿、左が岩本神社で、高根神社の守護神とされていますが、その名の示す様に、古の巨石信仰の名残りと思われます。 蚕養(蚕影)神社は、この下の表参道の脇に祭られており、養蚕の神とされています。 高根神社は、衣食住を授け、また之等の生産の神として、古くから崇敬されています。 なお、巨岩の左右には、大戦末期の塹壕の跡があり、山頂には古墳もあります。 「心子女神」縁起 高根山は、古墳や神の宿る巨岩信仰の霊場として、尾野地区をはじめ近隣の市町村に住む人々の心の支えでもあり、高根神社や岩本神社・蚕養神社については、上の説明の通りです。 ここにお祀りしてあります「心子女神」は、心臓・子宮・胃腸等を司る神様で、その霊験は顕著であります。子宝に恵まれない方や、心臓・子宮・胃や腸に何等かの異常のある方は、心よりお祈りすることにより、病気を平癒するとされて居ます。 社頭掲示板 |
高根神社 高根神社〈多賀神社〉はその後、仏教の興隆と共に行基菩薩が刻まれたと伝えられる聖観世音や、徳川家康の馬を祀る馬頭観世音などを併せて祀り、高根山観音と呼ばれていましたが、明治6年(1873年) 神仏分離令によって、観音様は下山して大宝寺へ移され、高根神社は元の姿に戻りました 更に明治政府の定めは、一村一社のため高根神社は金刀比羅神社へ合祀するように指令がありましたが、当時の尾野村の人達が、高根神社は式内社でもあり、更に除地などで3町歩以上の山林を所有するため、独立社として経営できるなどと申したてた結果、存続が許可され、明治12年に金刀比羅神社と共に高根神社も尾野村の村社として、特別に一村二社が認められました。 【遠州山辺の道】 −やさしさと歴史と緑に逢える道− |