蜂前神社
はちさきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】蜂前神社 遠江国 引佐郡鎮座

   【現社名】蜂前神社
   【住所】静岡県浜松市北区細江町中川 6915
       北緯34度48分17秒,東経137度41分18秒
   【祭神】熯速日命 (配祀)甕速日命 武甕槌命
   【例祭】10月中旬日曜日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】応神天皇11年3月8日創設
       允恭天皇の御代に脇宮が歓請され社号は鳥飼神社
       貞観8年(866)12月26日従五位下
       延長5年(927)蜂前神社と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「羽鳥大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       左脇宮・右脇宮・拝殿馬・社務所、渡殿・外屋

   【境内社】天王神社

集落奥都田川南岸近くに鎮座する。山腹の神社。本殿周りの木は開いてある。応神天皇の代八田毛止恵がこの地を開墾して創立。脇宮は允恭天皇の代に勧請され鳥飼神社・羽鳥大明神とした。


由緒

蜂前神社の由来
祭神 本社 熯速日命
左脇宮 甕速日命
右脇宮 武甕槌命
由緒
15代応神天皇11年庚子3月8日(西暦270年)に八田毛止恵と云う人が勅命によって遠江国に下向して 八田(祝田村の古名)45町広田(刑部村の古名)70町岩瀬(瀬戸村の古名)8町3反合計123町余りを開墾して本社を八ケ前に歓請して蜂前神社と斎き奉り子孫代々祝部として奉仕しました。
脇宮2社は十九代允恭天皇の御代に歓請されその頃から社号は鳥飼神社、羽鳥大明神と称えられ延長5年(西暦927年)蜂前神社と改め古名に復しました。延喜式神名帳に記載されている式内社であり旧社格は郷社であります。
昭和55年10月之建

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




蜂前神社の由来

祭神 本社 熯速日命
   左脇宮 甕速日命
   右脇宮 武甕槌命
由緒
十五代応神天皇11年庚子3月8日(270)に八田毛止恵という人が勅命によつて遠江国に下向して 八田(祝田村の古名)45町 広田(刑部村の古名)70町、岩瀬(瀬戸村の古名)8町3反合計123町歩余りを開墾して本社を八ヶ前に勧請して蜂前神社と齋き奉り己孫代々祝部として奉祀しました。
脇宮2社は19代允恭天皇の御代に勧請され、その頃から社号は鳥飼神社、羽島大明神と称えられ延長5年(927)蜂前神社と改め古名に復しました。 延喜式神名帳に記載されている式内社であり旧社格は郷郷社であります。

社頭掲示板



蜂前神社

本社の勧請は、応神天皇11年庚子3月8日(西暦270年)、脇宮の勧請は允恭天皇御代。
社号は当初八ヶ前(ハチガサキ)の地名によって蜂ヶ前(ハチガサキ)と称したが、允恭天皇以降は鳥飼(トリカイ)神社または羽鳥大明神(ハトリダイミョウジン)と称え、延長5年更に蜂前神社と改め古名に復した。
応神天皇11年八田毛止恵(ハッタモトエ)なる者勅を奉じ遠江国へ下向し、八田45町(祝田の古名)、広田70町(刑部)、岩瀬8町3反(瀬戸)合わせて123町余りを開墾し、本社を八ヶ前に勧請し、蜂前神社と斎き祀り、子孫代々祝部として奉仕した。
よって八田、上刑部、下刑部、岩瀬、石岡、五日市場、広岡の七ヶ村はこの神社を大氏神と崇め奉ったという。今川家・井伊家から社領を寄せられ、徳川家康も伊奈忠次をして社領5石を寄進した。次いでこれを朱印に改めて明治に至った。 
祭日
榊葉の白弊を奉幣し御飯75膳即ち早苗田の新米3升3合をあてる。
御神酒、新醸の清酒を壺に入れて献ず、お肴、御料理、生姜十片、柿十顆、栗十顆、松魚節5本、鮮魚10尾を献供する。
外に牛の舌と名付け円長形の餅を作り、氏子一族へ配布する。また小円形の餅を製して投げ餅にする。
右献供取扱者何れも浄身して覆面を掛け謹んで献供する。(牛の舌は現在も続けられている)」

細江町史



蜂前神社

社伝によれば本社の勧請は應神天皇11年庚子3月8日(西暦270年)、脇宮の勧請は允恭天皇御宇なりと言ひ、社号は勧請の当初に於ては八ヶ前の地名に因って蜂ヶ前と称し、允恭天皇以降は鳥飼神社又は羽鳥大明神と称へ、延長5年更に蜂前神社と改め古名に復したと言ふ。三代実録貞観8年12月26日の条に「遠江國鳥飼神に従五位を授く」とある、則ち是なりと定む。舊記によれば、應神天皇11年庚子3月8日八田毛止恵なる者勅を奉じ、遠江國へ下向し、八田45町(祝田の古名)廣田70町(刑部の古名)岩瀬8町3反(瀬戸の古名)合せて123町歩餘りを開墾し、本社を八ヶ前に勧請し蜂前神社と斎き奉り、子孫代々祝部として奉仕した。依って八田、上刑部、下刑部、岩瀬、石岡、五日市場、廣岡七ヶ村はこの神社を大氏神と崇め奉ると言ふ。今川家・井伊家の崇敬あり社領を寄せられ、徳川家康亦伊奈忠次をして社領5石を寄進す。次いでこれを朱印に改め以って明治に至る。明治41年1月12日神饌弊帛料供進社に指定せられ、大正12年2月12日郷社に昇格、大正12年2月22日郷社としての供進指定社と定めらる」

引佐郡神社誌



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