乎豆神社
おずじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】乎豆神社 遠江国 引佐郡鎮座

   【現社名】乎豆神社
   【住所】静岡県浜松市北区細江町中川 4641-1
       北緯34度48分49秒,東経137度39分49秒
   【祭神】天照皇大神 豊受大神
   【例祭】10月16日近い日曜日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】文化9年6月5日大洪水
       明治6年3月村社
       大正11年8月3日郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「神明宮」と称していた
   【社殿】本殿二棟 内宮神明造 外宮神明造
       拝殿・手水舎・舞樂殿・社務所

   【境内社】秋葉神社・金山神社・浅間神社・八幡神社・津島神社

気賀高校の北に隣接して鎮座する。
この地は5世紀には「刑部の御名代」平安時代後期に伊勢神宮「刑部御厨」とされていた。


由緒

延喜式内神名帳に記載の遠江国引佐郡乎豆神社是なり旧神領、朱印高15石寄附せらる、明治6年3月村社に、大正11年8月3日郷社に列す合祀神社11社は明治7年5月、1社は昭和8年10月何れも当社に合祀。
古老の口伝に依れば往古は社領5町8反歩なりしと云う。
坪附古文書あり、引佐郡気賀広岡鎮座神明宮、浜名郡五島村鎮座神明宮は当神社の御分霊なりとし、古老の言伝えなり。古来の伝説を聞に往古頗大社にして一の鳥居、二の鳥居、御前の鳥居、中門、西宮鳥居等の建築有りし由、昔文化9申年6月5日の大洪水に依り伝来の旧記悉く流出して見るべきもの不教といえども当神社は延喜式神名帳記載の神祇にして其の鎮座する郷は元刑部の郷と称し上古より地方崇敬の中心たるを知さる。
伝え日く往古は社頭高5町8反歩を有し従って社殿の設備又拡大なりとし降って徳川幕府に至り御朱15石を拝領せり其の文言に日く、遠江国引佐郡神明社領同郡刑部の内15石事任先規寄附の暈金可収納と是れ徳川氏に至りても尚上古の先規を重んじ崇敬殊に厚くし証票にして刑部村にて神地を寄せらるるにも不拘引佐郡神明領と冠し一村落の小社に非ざる事明にして明治維新の際に至る迄格別の礼を以て取扱われたる次第にして当郡内の崇敬厚かりしは論なき所なり。
徳川家御朱印字
遠江国引佐郡神明社領同郡刑部村の内15石事任先規寄附の暈金可収納並社中竹木諸役等免除永不可有相違納也
慶安元年弐月弐拾四日
遠江国引佐郡神明社領同郡刑部村之15石之内事任慶安元年2月24日先判の旨寄附し暈金可収納並社中竹木諸役等免除永不可有相違納也
貞享2年6月11日
遠江国引佐郡神明社領同郡刑部村の内15石事任並社中竹木諸役等免除依当家先判之例永不可有相違納也
享保3年7月11日 以下同文
延享9年8月11日 宝暦12年8月11日 天明8年9月11日 天保10年9月11日 安政2年9月11日 万延元年9月11日
以上9通

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




延喜式内社乎豆神社

乎豆神社は平安時代に醍醐天皇の命により編纂された法典「延喜式」の中の「神名帳」に名前が記されている古い由緒と格式を持つ神社です。江戸時代には幕府から社領15石が寄進されていたと伝えられています。
祭神は天照皇大神(内宮)と豊受大神(外宮)をお祀りしてあり、今日まで広く信仰されてきました。
現在乎豆神社のある細江町中川地区は5世紀には大和朝廷により「刑部の御名代」と定められ平安時代の終わりには伊勢神宮の「刑部御厨」が置かれました。
当神社の西方500mにある「井通遺跡」からは「引佐」と墨書された奈良時代の須恵器が出土し、古代の「引佐郡家」との関わりも推測されています。
このような歴史のある地域に当神社は祀られました。

社頭石碑



乎豆神社

御祭神 
天照皇大神 天手力男命 栲幡千千姫命 瓊瓊杵命
豊受大神 天児屋根命 天太玉命
例祭日 10月16日
遠淡海(浜名湖)に注ぐ最大河川都田川流域では、刑部郷は最も大きな沖積平野で銅鐸8個の出土は静岡県史の初頭をも飾る有名なもので、往古引佐郡家の所在地とも言われ、古代より大いに発展した土地といわれている。
刑部郷名は大宝律令に其の名が見え、人皇19代允恭天皇の妃の名代として刑部を定むとも言われ、平安時代には伊勢神宮領御厨となった土地である。
乎豆神社は、延喜式内引佐郡六座の一つで刑部御厨に奉納された神□宮である。
初祀は詳でないが旧家記録によれば、已に寛平年中に鏡太鼓を奉納するとある。
社伝によれば境内1686坪、社領5町8反を有し、徳川氏に至り歴代将軍より15石を寄進せられ、御朱印状に引佐郡神明社領と御明文ありて格別の□を以て遇せられ一村落の小社と異にして、領主より特に崇敬厚かりしは論なきあんり、往古頗る大社にして、大鳥居、二の鳥居、御前の鳥居、中門、両の宮鳥居等を有し極めて荘厳なりしとある。
文化9年6月5日の大洪水に依り旧記悉く流失して見るべきものなしとあるが社宝に刑部郷神明宮作次第書並びに刑部神門領坪付書あり。亦当社伝来□式□書もある。神明宮作次第書によれば刑部村、祝田村、五日市場村、広瀬村の人達が参加して宮作りをしている。
又、正保年中領主太田備前守より神社再建に木材を賜ると伝う。
尚、社伝によれば気賀広岡並に浜松江之島の神明宮は当社の御分霊なりと伝う。
明治41年1月12日神饌幣帛料供進神社に指定せられ、大正11年8月3日には郷社に列せられた。

社頭掲示板



遠江国INDEXへ        TOPページへ

学校情報