創建年代不詳天照皇大神を始め五柱を祭祀し六社大明神と称す。 当社を許部神社に比定する説がある。 |
由緒 明応8年、永正7年に台風による大津波で住民がこの境内に避難したので事なきを得たとあり、この事実が神社崇敬の心を培ったとあります。又、社前に松の大樹(枝東西南北各20間)があり足利義教がこの樹下で酒宴を催した折、松の音はザザンザを唄ったことが後に徳川家康によって曳馬駅を浜松駅と改称したきっかけだとも言われているが、今は枯死して碑文だけ残っている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
六所神社 由来 創建年代不詳天照皇大神を始め五柱を祭祀し六社大明神と称す。天正9年11月1日(1581)に社殿の建築・棟札に慶長13年11月2日(1608)・寛永6年・天和3年・安政2年にそれぞれ建立と記されている。明治維新以後に六所神社と改称。 明治6年に正八幡社・祭神息長足姫命ほか二柱若宮八幡社・若宮明神社は祭神大雀明・天照大神神社は祭神菅原道真・水神社は祭神弥都伎能売命・天白社は祭神不詳を合祀・明治43年に八王子神社祭神天之忍穂耳命ほか七柱を合祀。 明応8年(1499)・永正7年の津波に神主内山源左衛門は住民を境内の高い丘に集め難をまぬがれたと云われている。延長5年(927)完成の延喜式神名帳に許部神社の名があり蛙田郷許部の里は小沢渡である。 音羽の松 松の大樹で高さ枝張りとも40mもあり遠州灘を航海する船の目標とされ樹形も美しかったので福田半香や安藤広重の画材にもされ絵ものこされている。 社頭掲示板 |