湊神社の社伝では、数度の遷座の末に宝永5年(1708年)に現在地に遷座したと伝え、社地が湊にあることから湊神社と称されるようになったとしている。 |
湊神社 鎮座地 新居町新居1788番地 御祭神 須佐之男命 例祭日 10月15日 由緒 当神社の創立は不詳であるが西暦850年頃 官社に列せられる程の名神社であった。数回にわたる天災を受け、宝永5年(1708)現在の源太山に遷座となる。 往古は、角避彦神社と称したが 社地が湊にあることから 湊の開閉を守る神として、いつしか里人達は湊神社と称するようになった。 また、当神社の御祭神は疱瘡の守護神として、多くの信仰を集め遠近からの参詣人でにぎわった。 社頭掲示板 |
湊神社 創建は不詳だが、嘉祥3年(850年)官社に列せられた。 往古は、角避比古神社として、延喜式浜名五座の一社であった。数度に亘る天災で三度鎮座地を変えた。 寛永5年(1628年)帯の湊の開閉を守る湊神社として、現在地に遷座した。(御祭神は同じ) 明治3年有栖川宮の御祈願所となり、御神号、御額、御紋章付提燈を寄付された。 社頭掲示板 |
角避比古神社 名神大 角避は都能佐久と訓べし、比古は假字也、○祭神素淺鳴尊(風土記)○新井駅に在す、今湊大明神と称す、(式社考)例祭 月 日、』式三、(臨時祭)名神祭二百八十五座、遠江國角避比古神社一座、○惣国風土記四十三残欠云、遠江國濱名郡角避比古神社、浦無圭田有百五十束三字田、宣化天皇元年丙辰、所祭素淺鳴尊也、角避比古者尊之異名也、 東海道名所図会云、今橋本村にありて、上下諏訪大明神、或湊大明神といふ、水門の開塞を知しめす神とて、人呼で湊大明神といふ、今も江水に臨める社也、 官社 文徳實録、嘉祥3年8月戊申、詔以遠江國角避比古神、列官社、先是彼國奏言、此神叢社、瞰臨大湖、湖水所漑、挙土頼利、湖有一ロ、開塞無常、湖口塞則民被水害、湖口開則民致豊穰、或開或塞、神實為之、請加崇典、為民祈利、從之、 神社覈録 |