細江神社
ほそえじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】角避比古神社 名神大 遠江国 浜名郡鎮座
   【延喜式神名帳】大敏神社(敏 母はEとなっている) 遠江国 引佐郡鎮座

   【現社名】細江神社
   【住所】静岡県浜松市北区細江町気賀 996
       北緯34度48分36秒,東経137度39分8秒
   【祭神】建速素盞嗚尊 奇稻田姫尊
   【例祭】7月第4月曜日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】嘉祥3年(850)8月3日列官社
       明応7年(1498年)8月25日、大地震大津波で社殿ことごとく流没
       この時御神璽が当地赤池の里に着御
       永正7年(1510年)新しく社殿を現今の所に建立
       天正12年(1584)12月細江神社の創祀ともいう。
       明治元年9月社名を細江神社と改
       明治6年3月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は浜名郡新居町
        明応7年(1498年)8月25日、大地震大津波で社殿ことごとく流没
        御神璽が当地赤池の里に着御、仮殿安置
        永正7年(1510年)新しく社殿を現今の所に建立

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「牛頭天王社」と称していた
   【社殿】本殿
       

   【境内社】八柱神社・四所神社・天王稲荷神社・細江天満宮
        八幡神社・市神社・藺草神社


集落奥。山裾の神社。大楠多い。浜名湖入り口の角避比古神社が明応7(1498)地震で倒壊。その神体が当地に流れ着き、永正7(1510)社殿を建立。
角避比古神社・大敏神社両社の論社となっているが、大敏神社に関しては不詳。


由緒

細江神社は古くは牛頭天王社と申し、今日なお一般に気賀のお天王さまと尊称されております。
社伝によれば、名神大社角避比古神社、元国幣中社、は浜名郡新居町に御鎮座、第55代文徳天皇嘉祥3年8月( 850年) 官社に列せられた立派な神社で、浜名湖入口の守護神として氏子の方々に厚く信仰されておりましたが、第103代後土御門天皇、明応7年(1498年)8月25日、大地震、大海〓がおこり、社殿、建造物がことごとく流没し、御神璽が当地赤池の里に着御、里の人々が尊んで御仮宮を建てて、年年お祭りをしておりましたが、永正7年(1510年)新しく社殿を現今の所に建てて奉遷し、牛頭天王社と称え、気賀の郷の総氏神様としてお祀りをして来ました。
明治元年9月社名を細江神社と改め、明治6年3月郷社に列せられましたが戦後この制度は廃止となりました。
赤池の里は当社より約300メートル東南にあり、例祭当日、御神輿の神幸祭を盛大に執行致して居ります。
藺草神社
御祭神( 気賀領主) 近藤縫殿助用随公
例祭日、7月14日
浜名湖及び引佐細江の土地は応永、明応、宝永の4度にわたる大震災の為に陥没し、今切口に於て太平洋と直結し淡水湖が塩水とかわり肥沃田が塩田となり悲惨の極におちいりました。時の領主近藤用随公(御祭神)はこの災害復旧に全力を傾注したのですが、一旦浸透した塩分の為、稲作等の作物が成育しませんでしたが、琉球藺草なら塩田にも成育する由を聞いて九州豊後国(現大分県)の領主松平公より藩外移出禁止の藺草の苗を特に頒けて戴き、自から庭内に試植研究せられ自信を得て后普く領民に頒ち産業として奨励されたのであります。
生業を与えられた領民等は意気大いに揚がり200年の長い間生産努力精励した結果、之を原料とした畳表がこの気賀の特産として全国に遠州表の声価を伝へ広めたのであります。
御祭神用随公没後領民一同御祭神の大徳を偲びこの大恩に報ゆる為、産業の神として、又禍を転じて福となす( 転禍為福) 神として此の細江神社の境内に神社を建て藺草神社と称え奉斎す。御祭神の御法名を活民院殿( 民を活かす) と申し上げるも正に以上の事由と拝察致します。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




細江神社

一、 御祭神
   素盞嗚尊 奇稲田姫尊
一、 例祭日
   7月第三土曜日
一、 御由緒
 名神大社 角避比古神社(元国幣中社)は浜名郡新居町に御鎮座、第55代文徳天皇嘉祥3年(850年)官社に列せられた立派な神社で、浜名湖入口の守護神として氏子の方々に厚く信仰されていたが、第103代後土御門天皇明応7年(1498年)8月25日、大地震、大海嘯がおこり、神殿、建造物がことごとく流没したが、奇跡的にご神体は、村櫛をへて、伊目の十三本松に漂着、里人は隠岐大明神の地に仮宮を建てて祀った。
 しかし12年後再び地震による大津波のため、気賀の赤池へと漂着された。気賀の里人はこの地に仮宮を建てて祀り、翌月9月現今の地に社殿を建て、牛頭天王社と称え祀ることとなった。以来気賀の総鎮守としてあがめられ、明治6年3月、神社の社格が郷社となったが、戦後はこの制度は廃止となった。
 赤池の里は当社より約300m東南にあり、例祭日には神輿の渡御が行われる。
一、 御神徳
 清く、正しく、睦まじく、強く、すべてのものを生かし伸ばし育てる。これが神様の御教えであります。
 人間の罪穢れや、悲しみ、喜び、そして生死といった、 自然界、人間界のさけがたい運命を一身に負いながら、それを良い方向に導くために苦労された神様です。
 悩める人、苦しめる人は胸中を知り、その人々に起る災厄、疫病を除くに喜んで救の手を差しのべられる神様です。
 そして人々の罪を償われようとする御神徳により、疫病除けは勿論、豊作、大漁、招福、開運、万民守護、縁結びの神様として信仰されています。
一、 地震災難消除
 御由緒の中に書いてありますように、当社は明応7年の 大地震により御神璽が一番安全な所として、この気賀の里に着御し、地元の人々が地震にも負けない尊い神様だと創立した神社です。
 いつ発生するかわからない災難を最小限でありますよう に、又最小限ですむように祈祷する神社です。

社頭掲示板



細江神社

細江神社社叢・楠
昭和49年5月1日指定
明応7年(1498)の大地震による大津波で浜名湖の湖口を守る神として、荒井(新居)の里に祭られていた、角避比古神社の御神体の素盞嗚尊が、気賀上村の赤池の地に漂着したといわれる。
人々は初め赤池の北90m程のところに仮屋を建て祭っていたが、永正7年(1510)この地に社殿を建てて祀った。
社叢には、この時以来数百年の年輪を重ねた、根回り18mもある楠が林立し、歴史の変遷を静かに見守っている。また天台烏薬、亜熱帯性植物など多数の珍種植物が群生している。
昭和63年3月20日
細江町教育委員会

社頭掲示板



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