当社地を『神森山』と云う。当社を『内宮』と称し、菱池に鎮座する神明神社を『外宮』と称する。小篠道仲は 式内大神神社は『白須賀大神宮』也としている。 |
由緒 当社は、創立年代不詳。当社地を『神森山』と云う。里人『内宮』と称す。同字西山 今云う菱池に鎮座せる神明神社を『外宮』と称せり。小篠道仲日 式内大神神社は『白須賀大神宮』也。 昔有洪水、本社流失 俗依大神の文字称大神宮今書神明社是也。御鎮座地白須賀は明応8年以来元禄年間数度の海嘯の為に棟札古文書を失ひしを以て創立年代並びに鎮祀の事由を詳らかにする能わざるも、宝永8年以降の棟札を存せり。慶長6年3月14日伊奈備前守忠次殿御巡視の節社領石高六斗六升余寄進せられ、爾後徳川幕府崇敬して社領を御朱印に被改御下賜 徳川吉宗公以降代々の御朱印寫現存す。郷社に列せられしは 明治6年3月にして 神饌幤帛料供進の儀を指定せられしは 明治40年10月11日なり。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
神明神社 鎮座地 白須賀5451番地 御祭神 天照皇大御神 天手力雄命・萬幡姫命 例祭日 10月14日 由緒 創立年代不詳。当地を古来神森山と云い、里人は当社を内宮と称し、菱池に鎮座する神明神社を外宮と称した。小篠道仲氏は式内大神神社は当社であるとしている。 明応8年以来元禄年間数度の津波の為、棟札古文書等を失い、現存する棟札は宝永8年以降のものである。江戸時代朱印領四石余りの寄進を受け、当社には徳州吉宗以降の朱印状写が現存する。明治6年3月郷社に列した。 社頭掲示板 |
郷社 神明神社 祭神 天手力雄命 天照皇大御神 萬幡千々姫命 一に内宮とも称す、創立年代詳ならず、当社を以て、式内社大神々社に擬するものあり、即ち遠江国風土記伝に云く、 「小篠道仲曰、式内大神神社、自須賀宿大神宮也、昔有洪波、本社流失、俗依大神宮之文字、称大神宮、今書神明社」 と、然れども、特選神名牒には、大神神社の項に於いて云く、今按、一説云々、又濱名郡白須賀宿神森山の神明宮なりとも云へど、云々、内外両宮の大神を祭ると云ひ傳へて、大神神社に由なければ從ひがたきが上に、云々」 と、兎に角旧社なるべし、元と本白須賀の地に鎮座あらせられしが、明応以来屡々海肅に犯され、元禄10年今の地に奉遷す、朱印四石六斗六升八合、明治6年3月郷社に列す。 社殿は本殿、拝殿の二宇を備へ、其の他境内427坪(官有地第一種)あり、社地を神森山と称す。 明治神社志料 |