勧請創建年代不詳。古来延喜式神名帳に載る浜名郡五社の一つ大神神社に擬せられ 大神山八幡宮の大神山もここからとか。 また 奈良三輪山の大神神社より勧請したの伝承もある。 猪鼻湖神社の論社とする説もある。 |
由緒 当神社の儀は、勧請年代詳らかならず。式内大神神社と申し伝へ、文明16年足利義政公境内社熱田神社再興。天文8年今川義元公本社御造営。天正6年、浜松城主徳川家康代官本多作座左衛門を以って御造営。慶長6年、伊奈備前守15石御寄附。慶安元年、徳川家光公より御朱印11石を賜ひ、入出、太田、利木、神座、横山、下尾奈、上尾奈、鵺代、日比澤、本坂の12ケ村の大氏神として、地方民の崇敬深く、武門守護の御神徳顕著なる古社。明治6年3月、郷社に列せらる。昭和56年10月、覆殿、渡殿、拝殿の改築を行なう。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
大神山八幡宮 勧請創建年代詳らかならずといえども、 古来延喜式神名帳に載る浜名郡五社の一つ大神神社に擬せられ 大神山八幡宮の大神山もここからとか。 また 奈良三輪山の大神神社より勧請したの伝承もあり 古代にさかのぼると考えられる 文明16年(1482)甲辰年足利義政公境内社熱田神社再興。 天文8 年(1539)今川治部義元公本社造営天正六戌寅年(1578)国主の浜松城主徳川家康は代官本多作左衛門を以て造営。 往古は三五石御寄進ありと伝う 。慶長六丑年(1601)伊奈備前守一五石御寄進あり。 慶安元年(1648)徳川家光公より御朱印11石を賜い、入出 太田 神座 利木 横山 下尾奈 上尾奈 鶴代 日比沢 本坂の12ヶ村の大氏神として地方民の崇敬深く また古来より武門守護の古社として武人の尊崇を受く。 明治六年(1873)郷社に列せらる 昭和56年10月覆殿 渡殿 拝殿等改築す。 由緒書 |
大神山八幡宮 勧請年代詳ならず、式内大神神社と申し伝う。 文明16年(1480)足利義政公、境内社熱田神社を再興。 天文8年(1539)今川義元公、本社御造営。 天正6年(1578)浜松城主徳川家康公、代官本多作左衛門を以て社殿を御造営。 慶長6年(1610)家康公、伊奈備前守忠次そして15石を寄進す。 慶安元年(1648)家康公より御朱印地として11石を賜り、入出、太田、利木、神座、横山、下尾奈、上尾奈、鶴代、釣、日比沢、本坂の12ヶ村の大氏神として地方民の敬深き武門守護の御神徳顕著な古社なり。 明治6年3月、郷社に列す。 昭和15年8月15日、神饌幣帛供進社に指定される。 昭和56年10月、覆殿、渡殿、拝殿を改修築す。 社頭掲示板 |
郷社 大神山八幡宮 大知波字上小路鎮座 祭神 品陀和氣命 息長帯比売命 比女大命 例祭日 10月15日 由緒 勧請年代詳ナラズト雖モ社伝ニ式内浜名郡大神神社卜申伝フ 文明16年足利義政ハ境内社熱田神社ヲ再興シ,天文8年今川治部大輔義元本社ヲ造営、天正6年徳川家康代官本多佐衛門ヲ以テ社殿ヲ造営シタ、往古三十五石ノ御神領アリト伝フ、慶長6年徳川家康神領十五石ヲ伊奈備前守忠次ヲシテ寄進セシメタ、次イデ慶長元年徳川家光社領十一石ヲ朱印地トシテ寄附セラレ、明治6年3月郷社ニ列セラレ、昭和15年8月15日神饌幣帛料供進社に指定セラル 社頭掲示板 |
大神山八幡宮境内社熱田神社本殿 建築の年代は、棟礼より天正6年(1578)と思われる。ほかに文明16年(1484)、寛文4年(1664)、享保5年(1720)、等の棟礼がある。構造は'、一間社流造。正面板扉木階四級、正面両側高欄付縁、屋根柿茸である。特に優れた技法が、三斗組、蟇股、木鼻、幣軸、虹梁、親柱等に見られる。 県指定有形文化財建造物 湖西市教育委員会 社頭掲示板 |
郷社 大神山八幡宮 祭神 品陀和氣命 息長帯比売命 比女大神 社伝に云く、延喜式神名帳所載、遠江國濱名郡大神々社なり云々、倭名抄に、濱名郡六郷の内大神郷とあり、後ち郡村の変革に依り、方今敷知郡大知波村となる、天正7年火災に罹り、社記焼失すと雖も、現今境内神社たる大穴牟遅命は、上古の崇神ならん云々」と、古来当社を以て、大神々社なりと称すといへども、大神々社は、式内社摘考に「中の郷といふ村に、大和大明神といふあり、是なること疑ひなしと」といひしより、學者皆此の説に随ひ、特選神名牒には、 「今按、一説、同郡大知波村大神山八幡宮を本社(〇大神神社)にあてゝ、大神山と云ふを証とし云々なりとも云へど、大知波には、八幡大神を祭り、云々、大神々社に由なければ從ひがたきが上に云々」 といへり、社領は、風土記傅に「朱符之神田高八石」と見えたりといへども、和漢三才図会に、「八幡宮、在大知波社領十一石」と見え、明細帳には「旧朱印高十一石」と見えたり、明治6年3月郷社に列せらる。 社殿は本殿雨覆、幣殿、拝殿等を具備し、境内は440坪(官有地第一種)を有せり。 明治神社志料 |