社殿は俗称猪鼻岩と呼ばれる湖に突き出た巨岩上に鎭座する。 創建以来現在地より他へ移動した記録はない。 往時(橋ができる以前は)参詣には尾奈村の群衆小舟に依つて水道を渡つて参集する例であつた。 猪鼻湖神社は論社が多く以下が論じられている。 「猪鼻湖神社」(三ヶ日町下尾奈)当社 「神明神社」(三ヶ日町下尾奈) 「大神山八幡宮」(湖西市大知波) 「諏訪上下神社」(新居町浜名) 「諏訪神社」(新居町新居) 「猿田彦神社」(新居町新居) |
由緒 創立年度不詳、文化元年7月7日修理の棟札在り。古老の伝える所によると、本社は其の位置浜辺にある故に大風雨に当たり流失すること数度、従って、其の創立及び再建の年月等詳らかならざるも南北朝の初頭、浜名左近大夫清政再建して以来同一門の尊敬極めて厚かりし如く文化元年7月7日修理の棟札のみは存在する。 延喜式神名帳に所載、遠江国浜名郡五座の内猪鼻湖神社也。勧請は景行天皇19年と伝う。(神社要録)猪鼻湖神社条の弐参考に在り、敷知郡下尾奈瀬戸という。明治5年村社に列格、昭和50年、境内神社を合祀す。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
猪鼻湖神社 由諸 式内猪鼻湖神社 市杵島神社 御祭神 武甕槌命・市杵姫命 例祭 10月9日 式内猪鼻湖神社は創立年人皇12代景行天皇紀元742年より以前御鎮座せられる。延喜式内社浜名五座の内に列し延喜式神社明細帳に登載せられ鎮武の神国土安泰、庶民家運隆昌を祈願し、漁業を業とする人、近郷遠里を問わず海上安全、大漁豊漁を祈願し五穀豊穣を祈願し社前に船を列らね神楽を奏し奉納せられしは有名である。 又市杵嶋神社は天下泰平、家運隆昌、海上安全、五穀豊穣を祈願す。殊に縁結びの神として御神徳高く遠近より祈願する人後を絶たず。 昭和50年2月本殿改築。猪鼻湖神社・市杵島神社合併せらる。 社頭掲示板 |
猪鼻湖(いのはなこ) 浜名湖の、支湖で、、面積は約5.5平方キロメートル、周囲は約12km、瀬戸付近が最も深く、幅約120mの瀬戸水道で浜名湖と通じ、周囲は「三ヶ日みかん」の産地である浜松市北区三ヶ日町で、湖面には「カキ」の養殖がみられる。 湖口の岩山にある、「猪の鼻のような形をした岩」がその由来と言われている。 また、その岩は、「獅子岩」とよばれ、武甕槌命(たけみかつちのみこと)市杵姫命〔いちきしまひめのみこと)を祭祀とする「延喜式内猪鼻湖神社」が鎮座しています。天↓泰平・家運隆昌・海上安全・五穀豊穣・特に縁結びの神として有名です。 浜松市 社頭掲示板 |
猪鼻湖神社 猪鼻は為乃波奈と訓べし、湖は美豆宇美と読べきか、(旧本假字なし)○祭神猿田彦大神、(風土記)〇在所詳ならず○惣国風土記四十三残欠云、遠江國濱名郡猪鼻湖神社二座、景行天皇四十九年8月、所祭猿田彦神也、圭田五十束三毛田、有神家巫祝之居、○続日本後紀、承和10年10月癸酉、遠江国濱名郡猪鼻駅家、廃以來稍久、今依國司言遣使検其利害、更令興復、」式廿八、(兵部)遠江國、駅馬、猪鼻十疋、 東海道名所図会云、遠江の湖を濱名の湖、又猪鼻の湖とも云り、明応8年6月10日の洪水に、湖と海との間切れて、湖はなくなりたり、故今切と云ふ、」岡部真淵記行に、永正7年8月20日地震して、松原をふりたふしけれぱ、湖大海ひとつになりぬ、夫より所のもの、今切の渡と呼來れる由、老たる人の物語に遺れり、と云り、○式社考云、新井駅より三四里東北、瀬口村ノ江水ノ中ニ岩山アリ、此社其処ニアリト云、今民俗コノ処ヲ猪鼻湖ト字音二云トゾ、』或云、今ノ荒井駅ノ北方ノ坂路猪鼻ナルベシ、振裾記ニ、社號ニ依テ考ルニ、此神ハ湖ノ岸上ニ坐シトミエタリ、今八王子社モトノ荒井ノ濱邊ノ岡ノ上ニ有シヲ、寳永4年所移ノトキ、諏訪ノ社中ノ今ノ所ニ移スト云ヘリ、然レバ八王子モシ猪鼻湖ノ神ニアラズヤ、』又云、今ノ荒井駅ノ旧名猪鼻ト云ヘリト、」参考云、在敷知郡下尾奈村瀬戸口、 社頭掲示板 |