深渕神社
ふかぶちじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】深淵神社 土佐国 香美郡鎮座

   【現社名】深渕神社
   【住所】高知県香南市野市町西野
       北緯33度34分9秒、東経133度41分22秒
   【祭神】深淵水夜禮花命
   【例祭】10月30日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】孝安天皇31年神勅により創祀
       貞観13年(871)3月5日従五位下
       元慶3年(879)9月27日従五位上
       至徳3年(1386)6月13日深淵社とあり
       延宝7年(1679)12月造営
       正徳3年(1713)8月造営
       延享元年(1744)8月造営
       明治5年郷社
       明治12年9月30日県社
       明治25年7月の洪水で社地流失
       明治26年2月現在地に遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】最初は深淵集落の西方、現神社の西北にあたる物部川東岸の川岸に鎮座
        寛文年中に十禅寺に遷座
        明治26年2月現在地に遷

   【祭祀対象】本来は水・河川を祀る
   【祭祀】江戸時代は「深淵権現」「十禅師権現」と称していた
   【社殿】本殿銅板葺
       拝殿・社務所・御炊殿

   【境内社】
   【別当】四国霊場二十八番札所の法界山高照院大日寺

最初の神社は、深淵集落の西方で、現神社の西北にあたる物部川東岸の川岸に近いところにあつた。
寛永年中に流され、社地は河底に沈んだため、側に小祠をたてて祭つたという。
寛永の洪水から約40年後の寛文年中に十禅寺(十禅師.十善寺.十善士などとも書いた)に遷座したという。
明治25年7月の洪水で十禅寺の社地も崩壊し、社殿も駄目になつたので明治26年2月現在地に移転した。


深淵神社

延喜式社。祭神は深渕水夜礼花命。
水神として元原部島にあり十善寺を経て明治25年現在地に遷宮、深渕郷の総鎮守で明治12年県社に昇格した。従五位上

社頭掲示板



深淵神社

祭神 深淵水夜禮花命
創立年代詳かならず
古老の博説に拠るに、孝安天皇31年神勅ありて曰く
我此地に居ること久し
我は 深淵の水夜禮花命なりと言畢りて御身を隠くされたるにより、萬民深淵の神なりと崇め奉斎したるなりと 
祭神は古事記に出てたる神にして、深淵は和名鈔郷名部に土佐香美郡深淵
古事記云布波能母遅久奴須奴神娶女二 日河比賣一、生二子深淵之水夜禮花神一とありて深淵之水は母の御名河に由あるものならんか
三代実録に清和天皇貞観12年3月5日此神に従五位下を授けられ、又陽成天皇元慶3年9月27日従五位上を授けられ、延 喜の制式内小社に列せり
式社考に
此社今在二野市一里人為二十禅師一、舊祠嘗在二深淵村一、地広樹老尤可二凝信一、寛永中前国宰大墾二辟鏡野一、潅漑之利被二数千町一、於レ是河水失二古道一数流合併為レ一、一旦洪水壊嚢、社地為レ所二潰決一、巨木恠厳今猶在二河底一見在小社、四十年前里民徒造レ之と(按ずるに四十年前とあるは寛永年中に当るなり)古来より佐太郷の總鎮守にして、 曾て深淵権現、十禅神権現と称したるを、明治元年深淵神社と改め、同5年郷社に列し、同12年9月30日 縣社に昇格せり
本殿、拝殿、御炊殿等の建物を備へ、境内地181坪(官有地第一種)を有せり

明治神社誌料



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