伝説では、その昔 高知平野の南の黒田の郷に祭られていた。白鳳年号の大地震で黒田の里が埋没して、舟で安芸市の浜に上がり、山伝いに物部の別役へ 春婆(はるうば)という人が背負ってきたという。 『皆山集』には次の伝説を記してある。 傳日、老女、神体を負て當村ニ來、須道に奉鎭座、時日ヲ不レ移神飛テ光あり。光ヲ追テ見れハ谷岸二有神体。則ここに奉鎭座、其老女の杖を須道二立置く。忽二葉を生出て松の木と成。今大木と成、此松猶存す。 世称して小松神社の松の木と云傳ふ。其老女を神二祭る。則須道ノ姥神是也。姥神神体石須道座。此則神社を負來りし老女の神霊と云。 国の「重要無形民族文化財」の「いざなぎ流」が伝承されている。 |
小松神社 別役宮の谷に鎮座、神体は鏡、祭神および勧請年月日は明らかでないが延喜式神名帳土佐の国の項に見える「香美郡四座」の中の一つで最も由緒深い神社である。 昔より六月一日の夏祭りには一夜作りの麦こうじで神酒を造り供え、10月30日秋の大祭にはたいまつを焚いて厳かに祭典が行われた。 現在も部落内は勿論遠く村外からも参拝者が多い。 (現在の祭日は7月1日、12月1日) 物部村文化財保護委員会 物部村史談愛好会 社頭掲示板 |
小松神社 いざなぎ流は旧物部村でまもり伝えらてきた「民間信仰」で、舞神楽は国の「重要無形民族文化財」に指定されています。 宗教とはいえ、統括するような組織はなく、「太夫」がさまざまな知識を習得し管理しており、世襲制ではなく、なりたいものが師匠に弟子入りをして伝授してもらうという形式をとっています。 一人前の太夫である証である「許し」をもらうまでに10年はかかると言われています。 太夫は普段他の住民同様、林業や農業に従事し、依頼があると出かけていきます。 太夫の役割は4つあり、氏神や家の「神祭り」、病気治しの「病人祈祷」、弓を叩いて神憑りし託宣(占い)をする「祈祷」、山の神や水神をなだめ、自然災害を防ぐ「鎮め」があります。 http://www.city.kami.kochi.jp/soshiki/54/izanagiryu.html |