天忍穂別神社
あまのおしほわけじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】天忍穂別神社 土佐国 香美郡鎮座

   【現社名】天忍穂別神社
   【住所】高知県香南市香我美町山川
       北緯33度35分12秒、東経133度46分56秒
   【祭神】天忍穗別神 (配祀)饒速日尊
   【例祭】11月15日 秋祭
   【社格】旧県社
   【由緒】勧請の年月や沿革など不明
       元亨4年(1324)4月15日石船大明神社とある
       宝永2年(1705)天忍穗別神社と改称
       明治5年県社

   【関係氏族】物部氏
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「御石舟宮」「石船大明神」と称していた
   【社殿】本殿?葺
       拝殿・鞘屋・祭典場・竈屋・井屋

   【境内社】

饒速日尊の父天忍穂別尊は東川村山川の地に天下つて鎮座し、饒速日尊は父神を慕つて八尺に三尺の天然の石舟に乗つて飛來し相殿に鎮座したという。現在も伝説石舟がある。


天忍穂別神社

町指定史跡
天忍穂別神社
天忍穂別神社は式内社で土佐に来た物部氏によって、祭神天忍穂耳尊、相殿堯速日尊の2神が祀られている。鎌倉時代以降は瓊速日尊が天磐船に乗って天降った伝説により石船神社と呼ばれたが谷泰山の調査(1705)再興後、天忍穂別神社と称している
昭和53年4月1日
香我美町教育委員会

社頭掲示板



天忍穂別神社

石舟さま由来
 昔天照大神のお孫様で饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という神様が、石舟に乗り大空を天かり給い、山川のスミガサコの山の峰にお着きになりました。
 饒速日命は、まず、河内の国のある山にお降りになり、それから大和の国の桃尾山の麓におとどまりになって、やがて父神の天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)を慕って、土佐の国へお着きになりました。土佐へ初めてお降りになったのは、物部川下流の上岡山(野市)で、それから富家村に入られ西川村・長谷の小村・峠の船戸・末延の水船・山川の舟谷を経て、今のスミガサコのお社にお着きになったといいます。
 舞川の地石は、この神様がお休みになった時舞楽をなされた跡で、長谷の小村には烏帽子(えぼし)をかけられたという烏帽子岩があり、今のお社の南の谷はお冠を取られた所でカットリといいます。北の谷は杖谷といい、命(ミコト)がホコを置かれた所。その側の首珠が佐古は、お首飾を置かれた所といわれます。
 饒速日命がお乗りになった石舟は、境内の裏手にあり、巨大な自然石の舟型をしております。又付近には、船乗り達が献納した小さな石舟がどっさり置かれています。この小さな多くさんの石舟たちが物語る様に、航海の安全を守る舟神様であると共に疱瘡(ほうそう)様の神様としても知られております。
(杜井和雄「土佐伝説」より)
香我美町教育委員会

社頭掲示板



天忍穂別神社

天忍穗別神社は夜須の町の北方約ニ里余東川村の山川に鎭座す、祭神は天照大神の御子天忍穗別尊にて延喜式の式社の一にて古老の説によれば鴻荒の昔天忍穗別の尊、石舟に乘りて此の所に天降り給ふと蓋し香美郡には昔より其の姓が物部氏と稱するものがある。物部氏は其の遠祖を饒速日命となす、而して饒速日命は天忍穗別尊の御子である、故に此の山川の里は物部氏の代々の傳領の地であつたから其の氏の民が遠き祖先を茲に祭り氏神としたものである、この神社には有名なる天然物の石舟がある縱凡八尺幅三尺にて全体船形をなし中央窪凹の部分に水ー斗を貯ふることが出來る、故に別名にて石船神社と稱す蠹簡集文書には此の社の記事を挙げ後醍醐天皇元享4年4月15日に政所より下知して、土佐國大忍里庄東河末延名石船大明神社役の事を記し御燈明、御水、御花米等の御神事役を懈怠なく勤仕すべきものなり云々と。舊記を挙げてある、棟札には御石舟社、正和4年乙卯2月日物部末近と書せるものがある、又御石舟社檀那物部末延萬介尉、神右衛門尉、天正6年戊寅2月2日とせるものもニ枚ある。

四国の観光



天忍穂別神社

長い階段の先に 石の舟は、香我美町山川の「石舟神社」(別名天忍穂別神社創建1315年)にある。
11月15日の秋祭りに合わせて取材に出かけた。
秋祭りの行事の準備のあいだ、まずは石の舟を探して境内へ。長い長い階段の先に神社の建物が見えている。はるか遠くに見える。一段、一段、と上り始めた。
始めは「余裕や。まだまだ若い」と一人で甘く見ていた。三分の一上ったところで、一休み。足はパンパン、息はゼエゼエ。さっきまでの強気はどこへやら。
その後2回休んでやっとのことで上り詰め、神社の目の前にたどり着いた。階段の数は全部で185段。
はるか昔の伝説
神社の奥に本殿があり、本殿の外に、例の「空飛ぶ舟」が置かれていた。あちこち欠けているが、舟のような形をしている。そして、脇に小さな石の船がたくさんあった。山の上に降り立った舟。いったい、誰が乗ってきたというのか?
境内にある立て札によれば、
「昔天照大神のお孫様で饒速日命という神様が、石舟に乗り大空を天かけり給い、山川のスミガサコの山の峰にお着きになりました。(途中省略)やがて父神の天忍穂耳尊を慕って、土佐の国へお着きになりました。…」(桂井和雄「土佐伝記」)とある。はるか昔の神様の伝説に思いを馳せていると、神社の秋祭りの行事が始まった。神主さんの話によると、本殿の横にある相殿は妻の天萬拷幡千々姫の祭られた場所。彼女は織り姫であり、棚機(たなばた)神社とも呼ばれているとか。この伝説、天の川にもつながるほどの壮大な神々のストーリーといったところだろうか。詳しい内容は、ぜひ現地で見ていただきたい。
人々の暮らしの中に
この地域の長老、末久多計夫さん(92)のお話をうかがうこともできた。
「石の舟が空を飛んだという伝説にもいろいろの解釈や説があります。本当のところは誰にもわかりませんが、そうかていった伝説が、人々の心の糧になってきたのは明らかですね。香南市は海と山の距離が近く、昔は室戸からも船乗りさんが航海の安全祈願のため『石舟神社』に小さな石の舟を奉納しよったそうです」と、元気に説明していただいた。
「空を飛ぶ舟」伝説に興味のある方は、ぜひ訪れてみては?
道がわかりにくいので、地元の方に道案内をお願いすると、また何か新たな情報が得られるかも…。

香我美町パンフレット



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