村岳神社
むらおかじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】村岳神社 丹後国 熊野郡鎮座

   【現社名】村岳神社
   【住所】京都府京丹後市久美浜町奥馬地201
   【祭神】思兼神 倉稻魂命 武甕槌命
   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立年代不詳
       元慶元年(877)12月14日従五位下
       寛延2年(1749)再建


   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造銅板葺
       拝殿

   【境内社】

村岳の神は、もと太刀宮の臣下で太刀宮(現神谷神社)の社地選定を命じられたという。



由緒

当社は延喜式内社で字奥馬地に鎮座する古社である。古書によると村岳神は太刀宮の臣下で、社地撰定を命じられる、良地有るもこの事を秘し復命するも、のち露見し太刀宮憤り剣を抜いて追う。村岳神逃れて小字石仏の大石の影に隠れ、太刀宮誤って大石を切る。村岳神和を願い、両神大根を下物として和睦の宴を開く。この地をナガラガイと言い伝える。以後、神谷太刀宮の例祭りに奥馬地より大根を奉納するを例とする。太刀宮境内地にこの大石を「剣岩」として保存し事績を伝えている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



村岳神社

石仏の伝説    熊野郡誌より
伝説によるに村岳神は太刀宮の臣下にして、四道将軍旦波道主命山陰巡見に際し 前途の武運を祈らんが為め、出雲国なる八千矛神々を勧請し給ふ。此の時臣下に命じ社地を選定せしめらる。村岳神其の良地を秘す。依て神谷に社地を定め給ふ。後、此の事露見し、太刀宮憤り剣を抜いて追ふ。臣の神逃れて小宇「イシボトケ」に至り、大石の陰に隠る。太刀宮斬らんとして誤て石を斬る石分れて二となる。臣和を乞ふ両神大根を下物として和睦の宴を開かる。其の地を「ナカラガヒ」と言ふ。蓋し「仲直り」の意ならん。
以下略
追記、平成6年当区の土地改良事業により馬地谷小字「イシボトケ」より、村岳神社境内にこの石を移したものである。

社頭掲示板



村岳神社

村岳神社 式内村社 久美谷村大字奥馬地小字村岳鎮座
祭神=思兼神。相殿=倉稲魂命、武甕槌命
由緒=伝説によるに村岳神は太刀宮の臣下にして、四道将軍旦波道主命山陰巡見に際し、前途の武運を祈らんが為め、出雲国なる八千矛神を勧請し給ふ。此の時臣下に命じ社地を撰定せしめらる。村岳神其の良地を秘す、依て神谷に社地を定め給ふ。後此の事露見し、太刀宮憤り剣を抜いて追ふ。臣下の神逃れて小字石仏に至り、大石の陰に隠る。太刀宮斬らんとして誤て石をきる石分れて二となる。臣下和を乞ふ両神大根を下物として和睦の宴を開かる。其の地を「ナカラガヒ」と言ふ。蓋し中直りの意ならん。されば此の縁故により、今日に至る迄太刀宮の例祭には、字奥馬路より大根を奉るを例とせり。三代実録元慶元年12月14日庚辰授丹後国正六位上村岡神従五位下とありて、古来一般の崇敬厚く式内社にして叙位の神たり。元8日を以て祭日となせり。
境内神社。秋葉神社。祭神=迦具土命。

熊野郡誌



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