もと意布伎神社は意布伎=油池の意布伎山腹小字「神座」に鎭座していたが、嘉慶年中(1387−89)戦火のため社殿破壞消失した。 その後当地と久美浜町油池にそれぞれ再建された。 嘉慶年中以後油池に於て再建できないでいたが、早くから三分村に意布伎神社を祀るようになり、それから後に油池で再建したたと考えられる。 |
由緒 当社は垂仁天皇の朝丹波道主命の勸請せられた處にして、式内村社で天正4年11月村中大火に際し神社も類焼の厄にかかり、文書寶物等一切焼失せりという。海部村大字油池にも伊吹神社あり、元油池に鎮座せるを嘉慶年間兵火の為頽廃せるにより字三分に移轉せりとの説あれど、徴證すべき正確な文書乏しければ、その正否を断ずる事困難なり。而して当社殿は明治22年の改築にして、明治40年3月神饌幣帛科供進神社として本郡村社中第1位に指定せられた。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
意布伎神社 意布伎神社 村社 田村大字三分小字上地鎮座 祭神=気吹戸主神。 由緒=当社は垂仁天皇の朝旦波道主命の勧請せられし処にして、式内村社たり。天正4年11月村中大火に際し神社も類焼の厄に罹り、文書宝物等一切焼失せりといふ。海部村大字油池にも伊吹神社あり、元油池に鎮座せるを嘉慶年間兵火の為め頽廃せるより、字三分に移転せりとの説あれど、徴証すべき正確の文書乏しければ、其の正否を断する事困難なり、而して当社殿は明治22年の改築にして、明治40年3月幣帛神饌料供進神社として本郡村社中第一位に指定せられし処なり。 氏子戸数=八十戸。 境内社。愛宕神社。祭神=迦具土命。 稲荷神社。祭神=倉稲魂命。 寒川神社。祭神=寒川毘古命、寒川毘売命。 住吉神社。祭神=上筒男命、中筒男命、底筒男命。 由緒=四社共不詳。 道田神社。祭神=猿田彦命。由緒=当社は元小字上地に鎮座ありしが、明治43年境内へ移転せり。 熊野郡誌 |