生王部神社
いくおおべじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】生王部神社 丹後国 竹野郡鎮座

   【現社名】生王部神社
   【住所】京都府京丹後市網野町生野内443
       北緯35度38分41秒、東経135度2分34秒
   【祭神】生王部神
   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創祀年代不明
       明治6年2月村社
       明治15年8月21日生野神社を生王部神社と改称

   【関係氏族】生王部氏
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】この土地を開拓した生王部氏の祖先を祭つたもの
   【祭祀】江戸時代は「生野神社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

「元明天皇和銅6年夏4月丹波五郡を割て、丹後の国を置く。始め郡を分つ時、先づ加佐郡河守庄より始めて竹野郡網野庄に終る。両所に公庄村を置く。蓋し始終を示すなり。其終る処に一社を建つ。蓋し帝を祀るなり。延喜式に云ふ生王部神社是なり。今郡立大明神といふ。」『丹後旧記』


生王部神社のスダジイ

京丹後市指定文化財
学名 Castanopsis
分類 ブナ科シイ属
胸高幹周 6.76m 樹高 14m
スダジイは本州新潟県以南の日本各地に分布する常緑の高木で、タブノキとともに日本の常緑広葉樹林を代表する樹木である。
 「生王部神社スダジイ」は樹齢300年以上と推定され、本殿参道石段の横に位置することから、神木として歴代保護されてきたものと思われる。
 枝の一部に雪などによる物理的損傷が見られるが、効果的な保護措置がとられている。
 こぶに腐朽菌もなく、再生根が見られ、葉も大きく樹勢も盛んである。平成3年に京都の自然200選、網野町ふるさと自慢100選にも選定されている京丹後市内最大のシイノキでもある。

http://www.city.kyotango.lg.jp/service/digitalmuseum/siteibunkazai/tree2.html



生王部神社

生王部神社 村社 字生野内小字生尾鎮座
 (延喜式) 竹野郡 生王部神社
 (神社明細帳) 祭神 生玉部神 日本根子天津御代豊国成姫命
   由緒 創立年月日未詳明治6年2月村社に列せらる、明治15年8月21日生野神社を生王部神社と改称許可なる
 一社  殿   梁行一間二尺九寸 桁行一間六尺三寸
 一境内坪数  百六十七坪
 一氏  子   四十一戸
  境内神社
   若宮神社
    祭神 不詳
    由緒 往古本社境内に大川社鎮座有之所年月不詳當社へ合祭になる、
 (丹後旧事記)
  生王部神社       生野内村
   祭神  稲倉持神       延喜式並小社
    生野山大慈寺と云ふ坊官あり織田信長迄四百五十石の    神田あり
 (丹哥府志) 生王部神社
 當区は元公庄に鎮座せる郡立神社の氏子なりしが故ありて明治7年豊岡県管轄時代に分離して生王部神を氏神とすといふ

竹野郡誌



生王部神社

生王部神社(式内) 生野内小字生野内鎮座
 祭神 生王部神・日本根子天津御代豊国成媛命・稲倉持神
 由緒 創建年代不明、明治6年2月村社となる。
明治5年8月5日「生野神社」を「生王部神社」の社名に改称し京都府に屈け出た。明治15年8月21日改称許可になっている。近世には「生野神社」だったものか。しかし、中・近世の古い文献などに、「生王部(イクオウヘ)」「壬生部(ニフヘ)」「生玉部(イクタマヘ)」と宛てられたり訓まれたりしている記録もあり、社名の考証はむずかしい。このほか「生野明神ハ公庄村郡立(こおりだて)明神ノ方ナルヘシ」の説もある。また『丹哥府志』には「当区は元公庄に鎮座せる郡立神社の氏子なりしが故ありて明治7・8年豊岡県管轄時代に分離して生王部神を氏神とすといふ」の記事もあり、当社を観るとき−後述の公庄・郡立神社−と併せて考える必要があろう。
○境内神社
若宮神社 祭神 不詳
  由緒 往古本社境内に大川社鎮座有之所年月不詳当社へ合祭。(式内社調査報告書竹野郡誌)

網野町誌



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