「元明天皇和銅6年夏4月丹波五郡を割て、丹後の国を置く。始め郡を分つ時、先づ加佐郡河守庄より始めて竹野郡網野庄に終る。両所に公庄村を置く。蓋し始終を示すなり。其終る処に一社を建つ。蓋し帝を祀るなり。延喜式に云ふ生王部神社是なり。今郡立大明神といふ。」『丹後旧記』 |
生王部神社のスダジイ 京丹後市指定文化財 学名 Castanopsis 分類 ブナ科シイ属 胸高幹周 6.76m 樹高 14m スダジイは本州新潟県以南の日本各地に分布する常緑の高木で、タブノキとともに日本の常緑広葉樹林を代表する樹木である。 「生王部神社スダジイ」は樹齢300年以上と推定され、本殿参道石段の横に位置することから、神木として歴代保護されてきたものと思われる。 枝の一部に雪などによる物理的損傷が見られるが、効果的な保護措置がとられている。 こぶに腐朽菌もなく、再生根が見られ、葉も大きく樹勢も盛んである。平成3年に京都の自然200選、網野町ふるさと自慢100選にも選定されている京丹後市内最大のシイノキでもある。 http://www.city.kyotango.lg.jp/service/digitalmuseum/siteibunkazai/tree2.html |
生王部神社 生王部神社 村社 字生野内小字生尾鎮座 (延喜式) 竹野郡 生王部神社 (神社明細帳) 祭神 生玉部神 日本根子天津御代豊国成姫命 由緒 創立年月日未詳明治6年2月村社に列せらる、明治15年8月21日生野神社を生王部神社と改称許可なる 一社 殿 梁行一間二尺九寸 桁行一間六尺三寸 一境内坪数 百六十七坪 一氏 子 四十一戸 境内神社 若宮神社 祭神 不詳 由緒 往古本社境内に大川社鎮座有之所年月不詳當社へ合祭になる、 (丹後旧事記) 生王部神社 生野内村 祭神 稲倉持神 延喜式並小社 生野山大慈寺と云ふ坊官あり織田信長迄四百五十石の 神田あり (丹哥府志) 生王部神社 當区は元公庄に鎮座せる郡立神社の氏子なりしが故ありて明治7年豊岡県管轄時代に分離して生王部神を氏神とすといふ 竹野郡誌 |
生王部神社 生王部神社(式内) 生野内小字生野内鎮座 祭神 生王部神・日本根子天津御代豊国成媛命・稲倉持神 由緒 創建年代不明、明治6年2月村社となる。 明治5年8月5日「生野神社」を「生王部神社」の社名に改称し京都府に屈け出た。明治15年8月21日改称許可になっている。近世には「生野神社」だったものか。しかし、中・近世の古い文献などに、「生王部(イクオウヘ)」「壬生部(ニフヘ)」「生玉部(イクタマヘ)」と宛てられたり訓まれたりしている記録もあり、社名の考証はむずかしい。このほか「生野明神ハ公庄村郡立(こおりだて)明神ノ方ナルヘシ」の説もある。また『丹哥府志』には「当区は元公庄に鎮座せる郡立神社の氏子なりしが故ありて明治7・8年豊岡県管轄時代に分離して生王部神を氏神とすといふ」の記事もあり、当社を観るとき−後述の公庄・郡立神社−と併せて考える必要があろう。 ○境内神社 若宮神社 祭神 不詳 由緒 往古本社境内に大川社鎮座有之所年月不詳当社へ合祭。(式内社調査報告書竹野郡誌) 網野町誌 |