麓から見える給水塔の山の頂上に「愛宕神社」がある。「大野神社」の名は不知(地元民)。夏期は雑草繁茂してほとんど入ることができない。10月10日に祭りがあり、そのときには手入れをするとのこと。祭りの日以外に訪れることはほとんど無い。ご神体は里の方に移してあるとのことであった(里の三宮神社)。 |
大野神社 村社 字中濱小字大野山鎮座 (延喜式) 竹野郡大野神社 (丹後舊事記) 大野神社 祭神 宇気持神 (神社明細帳) 一祭 神 大荒田別命 一合祀神五社 明治17年合祀す 賀具土神 天照皇大神 須佐廼男神 白山神社 一由緒 創立年月不詳 建替寶永7庚寅年、享和3癸亥年、明治13年5月、明治4年5月村社に列す、境内百四十三坪、社殿の桁行三間梁行三間、拝殿桁行三間梁行二間半、神寶刀一腰、氏子百九十七戸 (いはろ字類抄) 大野神社は丹後国竹野郡 (大日本地名辞書) 延喜式大野神社も此郷にあるべし (神名帳考證) 大野神社姓氏録に云ふ大野朝臣は豊城入彦命四世孫大荒田別命なり (伝説下宇川村誌稿) 中古以来何れの御代にて在りしか、北丹の海岸未曾有の地妖にて地裂け潮溢れて浦村数里一時に潰壊して波底に入ると今尚神社を南に去る大約五町にして池田の名のみ存せりと伝へいふ、池田村の民屋千餘戸ありしが可憐此地全村廃絶して空しく蒼田と変じ今更に其形跡得て考ふべからず、 同社調文書中左の一節あり茲に掲ぐ、 中濱村の乾の海岸に大野と名くる地有其れに一小祠有て大野大明神と称し奉る是大野神社の神跡纔かに存する所なり今の俚俗訛て大呂大明神と称す又此神祠の西南坦平なる松山有て大野口と名く想ふに古昔の大野神社も亦此辺にありしならん云々 竹野郡誌 |
大野神社 大野神社 中浜小字大野山 宇気持神、大荒田別命、賀具土神、天照皇大神、須佐迺男神を祭る。 宝永7庚寅年、享和3癸亥年、明治13年5月にそれぞれ再建が行われた。明治4年5月村社となる。明治17年五神社を合祀した。 丹後町史 |