国原神社
くにはらじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】久尓原神社 丹後国 竹野郡鎮座
          (旧地)国原神社(旧地)

   【現社名】国原神社
   【住所】京都府京丹後市弥栄町国久214
       北緯35度41分25秒、東経135度5分47秒
   【祭神】国常立神
       豊宇気持命・大宮宜大明神『丹後旧事記』

   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立の経緯不詳
       応永12年(1405)大和の国宇多郡より神霊迎える
       明治4年5月村社
       明治43年4月杉森神社に合併し国原神社と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧鎭座地は南500mの「高田の森」
        明治43年4月杉森神社に合併し国原神社と改称

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「高田大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       

   【境内社】

現在地には杉森神社が鎮座していた。
明治43年4月旧鎭座地の「高田の森」から杉森神社に合併し国原神社と改称した。
旧鎮座地の「高田の森」は国久集落から南へ約500mの水田の中にある丘で、今は樹木はなく地膚をのぞかせている。


国原神社

国原神社 村社 字国久小字石ケ谷鎮座
 (延喜式) 竹野郡 久爾原神社
 (丹後舊事記) 久爾原神社  久爾比久村
  祭神 大宮宣大明神 豊宇気持命
 大膳職神にして延喜式の並小社なり、往昔国業村と云ふ国業とほ百姓の事にして蒼生なり
(丹哥府志) 久爾原神社 延喜式
 久爾原神社今高田大明神と称す 祭9月16日
(神社明細帳) 祭神 国常立神 猿田彦命
 口碑に云當村国原神社境内に於て凡人十余丈の古き杉樹あり中古枯木となり元禄9年中大風の爲に打倒し其梢末の地に於て神社を創建し以て国原大神の分社とし之を杉森神社とす次に猿田彦大神は俗に庚申と称し辻堂に於て祭り来りしが明治2年11月神社調の際當社へ遷し相殿とす
社 殿 梁行 三尺 桁行 二尺五寸
上 屋 仝一間四尺 仝  三間一尺
境内坪数 二十一坪
  国原神社の本社は小字高田にありしが明治43年4月是を杉森神社に合併し更に国原神社と改称す、大正3年接続地山林二段一畝二十歩を合し総べて境内地に編入をなせり

竹野郡誌



国原神社

国久神社 元村社
 字国久小字石ヶ元鎮座
 丹後旧事記によれば、久爾原神社 国業村鎮座 大膳職神にして延喜並小社なり。
 祭神 国常立尊 豊宇気持命
 丹哥府志によれば、 久爾原神社一名高田大明神と称す。 祭日9月16日
由緒 当社に伝わる由来記によれば、「応永12年の春(570年前)大和の国宇多郡より此神霊を請ひ来りて高田の森に安置す。此の森に高さ八十丈、周り十五囲に余る大杉あり此木の本に神社を営み、遷宮せしめ国原大明神と崇め奉る。此の国原大明神の神霊は天神七代の元神国常立尊なり。日本開闢の神なり。尊崇すべし。諸神の内にても感応第一の神なり」とある。
 明治4年5月村社に指定される。大正3年小字石ケ元杉森神社の境内を拡張整備し、お山の上段に新宮を造営し杉森神社と合社して今日に至っている。
社殿 梁行 1m35cm
   桁行 1m22cm
上家 梁行 4m54cm
   桁行 3m64cm
境内坪数 1035坪
杉森神社(現在国久神社に合祀)
 祭神 国常立尊 猿田彦命
    八柱大神 谷垣姫命
由緒 杉森神社の由来記によれば「国原神社の境内の神木に高さ八十丈(23m)周り十五囲の老大杉あり。中古枯木となり、永禄9年大風の為折倒れ其梢現在氏神の地に落ちたり。故に神霊茲に遷り玉うなりとて、茲に社を建て国原神社の分社として杉森大明神と改め奉祀せるものなり。頃は天正元年4月10有6日」とある。次に猿田彦神は元辻堂にあったが、明治2年11月神社改めの際当社に遷し合祀した。さらに大正3年氏神国原神社の社殿造営の際両社を合併して祀った。国久区に伝わる由緒記を左にかかげる。
   杉森神社由来記(原文漢文)
 夫れ当区氏神の由来を尋ねるに、応永年中の頃当処には幾多の人家之無き事慥なり。氏神と崇むべき社も之無く、時の人何卒氏神と崇むべき社を造営し何れの神を勧請せんと按ずるに、于時応永12年の春大和国字多郡より此の神霊を請い来りて高田の森に安置す。此の森に凡そ高さ八十丈大きさ十五囲りの余る大杉あり。此の木の本に社を営み遷宮せしめ国原大明神と崇め奉る。此の国原大明神と崇め奉るは天神七代の元神国常立尊なり。大日本開闢の神なり。尊崇すべし。諸神の内にても感応第一の神なり。天より降り玉いて日本国中へ人民を弘め玉いし神なり。亦此春奈良春日神社内の神木一夜の内に六千本許り故なくして枯る。翌春応永13年夏旱水大飢饉、秋大洪水、冬大地震、諸国一統難渋人大いに死す。当村は此の神霊安置の加護により風水の災難を除き福豊を得たる者也。
 其後160年を経て此の氏神の大杉枯れ果て、大風の時其梢朽ち折れ今の氏神の地に落ちたり。故に神霊氏変に移り玉うなりとて茲に社を建て、国原大明神を引き遷して杉森大明神と改め尊崇し奉る。今の氏神是也。
頃は天正元年4月十有六日遷宮也。此の由来記今西喜左衛門の懇望に依て書き写し与うる者也。
 于時嘉永5子の師奔
   久国良悟焚香拝写

弥栄町史



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