集落の奥。山裾に鎮座する。社殿の両脇に抱え込むような杉の巨樹2本がある。 |
大宇加神社 大宇賀能売命を祀る。創立年月日は不詳。郷村誌によれば文明年間の創立と伝えられるが、社殿は古く彫刻緻密であり、神体の両脇に身丈55cmの左大臣、右大臣の木像がある。時代・作者は不明であるが、三色の色彩が施されている。また、石彫のこま犬にも細かい彫刻が施されている。 注 文明年間=1469〜1487 社頭掲示板 |
大宇賀神社 大宇賀神社 村社 字郷小字入道鎮座 (延喜式) 竹野郡 大宇賀神社 (神社明細帳) 祭神 大宇賀能売命 由緒 創立年月日不詳寛保3癸亥年7月吉日奉再造明治6年2月村社に列せらる 一本 殿 梁行五尺二寸 桁行六尺 一拝 殿 仝 三 間 仝 五間 一上 屋 仝 三間四尺一寸 仝三間七寸 一境内坪数 二千四百五十九坪 一氏 子 百十六戸 竹野郡誌 |
大宇賀神社 大宇賀神社(式内) 郷小字丹生土(にうど)(入道)鎮座 祭神 大宇賀能売命 〔豊受大神〕 由緒 『竹野郡誌』掲載の「神社明細帳」によれば、「創立年月日不詳、寛保3癸亥(1743)7月吉日奉再造、明治6年2月村社に列せらる」とある。なお『丹後旧事記』には「丹波道主命の勧請なり」とみえる。その後、昭和2年の丹後震災により社殿が倒壊し新築された。倒壊前の本殿に棟札があったが今は不明。(式内社調査報告第十八巻) 〈伝承〉 大宇賀神は元奥山(小字名御伊勢山あり)に居られしが、ある時天王(今の祇園天王)と住み場を替へんと考へられ谷より降りて来られ(今天王山分岐点道を隔てし南側に自然巌が露出其の上に株古きタモの老木一本あり、之神休岩と伝ふ)この地にて一休み両神談合、何れに住せんやと計り給ひけるに、天王神は此の山の上に住むといわれ大宇賀神は此の向の山に往くとて互に宮を定め給ひけるなり。 注 右社(大宇賀神社)御神体「木像」一基、昭和初年中郡三重村の人永浜宇平君拝して曰く、作鎌倉中期以前ならんと。なお境内地内を旧新二条の導水路横断す。大正一五年冬新水路改築に際し社の西南(宮ノ谷)掘さく中弥生式土器窯跡と思へる口径四尺くらゐ壷型焼土層現はれ、付近に「かねくそ」を混ずる土器破片堆積せるをみる。神社造営以前の跡なるべし。 網野町誌 |