天満神社本殿左から、一段登った天神山頂上にある。 天満神社は天正14年(1586)に安良城主の有吉氏により現在の地に遷宮されたと伝。 当社を式内吾野神社に比定する説がある。 丹後但馬神社道志留倍では「又加悦町ニ天神社アリ尤宜キ地ナリ扨又加悦谷ト云事トモ抄ニナシ若此加悦谷謁叡郷カ考フベシ然ラバ此天神社名コソ違ヘ阿知江ナラン」と式内阿知江神社に比定している。 |
由緒 天満神社 当社中郡二箇にあり、のち与謝郡四辻天神河原に移り更に嘉歴4年加悦町宮野に移る。天正14年安良山城主有吉省宥等4名により今の天神山に移す。 丹波道主の子孫という細目道春の子倉彦が菅原道真に仕へ道真が九州太宰府に配流の後倉彦は丹後に帰り道真の霊を祭り三度奉遷し現在の天神山に祭る。細目より細見の姓になり代々神宮として奉仕している。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
天満神社 京都府指定文化財 石燈籠 鎌倉時代 天満神社 石燈籠は天満神社本殿脇にある花南岩製の燈籠で、八角形・円筒竿・火袋大面取りの形で・三石からなる四角形の台石上に立っています。総高は256.6cmをはかる大きなもので、基礎の上に一段の造り出しを設け、その上に伏蓮華文を置いて中台の側面を薄くして長方形の羽目を彫るなど、全体的に鎌倉時代後期の特徴をよく表現しています。 この燈籠は丈も高く重厚で、保存状態も良く、中世の丹後地方を代表する石燈籠といえます。なお、京都府の指定と合わせて、国の重要美術品にも認定されています。 平成7年3月指定 加悦町教育委員会 社頭掲示板 |
天満神社本殿 天満神社は加悦重要伝統的建造物群保存地区を見下ろす天神山上、丘陵東側の石段を登り切った左手に社殿が鎮座しています。以前はこの石段の正面にあったのですが、昭和2年の丹後大震災で社地が崩れ、社殿の倒壊が危惧されたため、今の場所に移転されました。 本神社は加悦・算所地区の氏神で、学問の神様の菅原道真を祭神としていますが、創建から今にいたる経過には諸説があり、明確にし難(がた)いです。一説によると、安土(あづち)桃山(ももやま)時代(織田信長や豊臣秀吉が活躍した時代)に現地に移されたとも伝えられています。また、棟札(むなふだ)によると、大工は冨田河内盛庸(とみたかわちもりつね)らで、享保18年(1733)に建立されたことがわかります。これは本殿の建築的特徴とも一致し、今の本殿が再建された時期を示しています。 本殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で、龍や波間の兎(うさぎ)などの見事な彫刻が随所にみられ、組物で迫り出す技法など当地の特色がよく表れていることに加えて、屋根正面上にチョンマゲのように唐破風(からはふ)が付くタイプは大変珍しいものです。 与謝野町教育委員会 |
吾野神社 吾野(あがの)神社 加悦小字天神山 我野媛(かやひめ)またの名『我野廼媛(かやの)』を祭る。吾野神社として、延喜式神名帳に記され、名実ともに式内社である。付近に円墳があり、吾野山古墳と称す。 この祭神の呼び名が、「加悦」の語源と伝えられている。野の神で、大山祇命の妃となった。 加悦町誌 |