杉末神社
すぎのすえじんじゃ
日吉神社 境内社
所在地 社名















   【延喜式神名帳】杉末神社 丹後国 与謝郡鎮座

   【現社名】杉末神社【日吉神社境内社】
   【住所】京都府宮津市宮町1408
       北緯35度32分25秒  東経135度11分17秒
   【祭神】大物主命 少彦名命
   【例祭】10月10日
   【社格】旧村社
   【由緒】敏達元年大和三諸山より奉遷
       敏達元年4月6日官幣を奉る
       天正年間(1573−92)この地に遷
       寛政6年(1794)建造
       明治6年2月10日村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】もと宮津町字杉末の山上に鎭座
        天正年間(1573−92)この地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 宮津山王日吉神社
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

もと宮津町字杉末の山上に鎭座。社の傍らに杉の大木ありしにより杉の末神社と号した。
現在宮町の日吉神社の境内にある。当初、ここは杉末神社の境城であったが、山王権現を江州坂本より勧請してから山王社の勢威が盛んとなり、杉末神社はその摂社のごときかたちとなったといわれる。


由緒

日吉神社
大山咋命 大己貴命
災難除去の神々
宮津の町では昔から「山王さん」の名で親しまれています。神社ができたのは平安期と伝えられ、江戸時代より歴代宮津藩の守護神として城主の深い信仰を受け、お殿様、ご家中を始めとした城下町宮津の総氏神とされて参りました。そのため当神社の例祭(山王祭)に限り特に宮津祭の名で呼ばれています。
山王宮に鎮まります神々は、昔より「災難除去の神」とされ、不幸をもたらす悪霊(まがつび)を遠ざけ災難より万物を守る非常に強い力を持つ神と言われています。そのため古来数多くの信仰を集め、季節を通し行われる数々の御祭では、古式に定められた儀礼の中で、災厄は祓われ幸福が祈願されています。
今日「厄除祈願」「交通安全祈願」等に遠方からの参拝者が多いのも、そうした御神力によるものと言えます。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



杉末神社

日吉神社 宮津市字宮町
古来山王社と号した。明治維新の神仏分離政策以後、公称を日吉神社と改められたが、その間山王社の称号はこんにちに至るまて絶えることはなかった。祭神は大山咋神・大己貴神とし、創建は近江坂本(滋賀県大津市)日吉大社より勧請したと伝えるが、これを如願寺がその鎮守として勧請したとする説は必ずしも正確ではない。例祭は近世より4月中の申の日としたが、今は5月15日に定めている。藩祭・国祭・宮津祭といわれ、近郷よりの人出で湧き立った。その時くり出した芸屋台の一部は今も保存され、祭りを賑わした浮太鼓は今尚続いている。
境内杉末神社はこの地に数少ない式内社のひとつである。船魂・恵比寿神社は町の漁師・船乗りたちによって祀られているが、創建の事情は明らかでない。
現存社殿は日吉神社本殿が貞享5年(1688)、拝殿は天保5年(1834)、杉末神社は寛政6年(1794)、船魂神社もほぼ同時代、恵比寿神社は明和9年(1772)の建造である。
大工棟梁は、本殿・拝殿・杉末神社は何れもこの町の富田大工が担当した。本殿の入母屋造に槌破風の向拝部を付した屋根に対して、両側に流造の屋根を持つ社殿が並び、蟇股・組物・虹梁等にも意匠の変化がみられ、美しい建築群である。
裏の竜上山とともに官津の景勝地であって、京都府は隣の如願寺と地続きの一部を「文化財環境裸全地区」としている。
官津市教育委員会

(本殿前説明板)
式内摂社杉末神社
御祭神 大物主命 大己貴命 少彦名命
例祭 10月10日
延喜年間(901−923)に撰進された神名帳にその名が記載される宮津城下最古の神社である。
例祭は相撲祭とも言われ「赤ちゃんの初土俵入り」の神事が江戸時代より伝えられている。
化粧回しを着け、力士の格好をした幼児が、見えない神と相撲を取ることで健康を授かるというこの神事は、極めて珍しく、又可愛らしい行事として有名である。
本殿は寛政8年に再建され、府の文化財として登録されている。

社頭掲示板



杉末神社

初土俵入は山王宮境内の摂社・杉末神社の例祭に執り行われる神事で、相撲の盛んだった宮津の町で江戸時代中頃から始まりました。
●由緒を知りたい
赤ちゃん「初土俵入」は山王宮境内にある杉末神社の例祭に執り行われる神事で、化粧廻しを付けた幼児が見えない神様を相手に相撲を取るという、全国でもきわめて珍しく、また可愛らしい神事といわれています。
●神事は次のように行われます
○ まず幼児は行司に抱えられて土俵中央で神前に向かい四股を踏みます。                          
○ 次に神様を土俵際まで追いつめます。行司は幼児と共に神様を押し出す仕草をします。                   
○ 次に幼児は神様に押し返され土俵中央でしりもちをつきます。                              
つまり神様には負けてしまうわけですが、神様とすもうを取り神聖な土俵の砂を身体に付けることで、健康でたくましく育ちますよう願う神事です。泣くことと神事との関連はございませんが境内は一日中子供たちの泣き声や笑い声でぎわいます。

http://www2.nkansai.ne.jp/org/sannou/hatudohyou.htm



赤ちゃん 初土俵入

10月、体育の日に執り行われます赤ちゃん「初土俵入」は、華麗な化粧回しを付けた幼児が見えない神様を相手に相撲を取ることで健康を授かるという可愛らしい神事です。江戸時代中頃、それまで行われていた地元力士による奉納花相撲の影響を受けて、氏子中の有力な家々が屋号などを元にした化粧回しを作りその子供達を土俵に上げたのが始まりで、以来今日まで城下町宮津の子供たちの大切な儀式として守られてまいりました。
 日本には幾つかの子供の相撲行事が有りますが、初土俵入は全国に例を見ることはないきわめて珍しい神事であり、当日境内は各地から集う沢山の子供達の泣き声、そしてそれを見守る人々の歓声で大いに賑わいます。

社頭掲示板



杉末大明神

祭神 大物主命  在山王社地内
祭日 9月9日
 社記ニ曰人皇31代敏達天皇即位元年自リ二和州三諸山一降二在シ丹後国余謝郡杉ノ末ニ一出現鎮座而垂レ跡ヲ號ス二杉末大明神ト一云云。舊記曰明年四月六日始テ奉リ二官幣一齋祭ル。
 謹按杉末神社載二延喜式神名帳一則チ在リテ二餘謝郡ニ一而與二籠神社久理陀神社等ト一共ニ是古祠存スル者ニシテ而今僅々トシテ在リテ二山王ノ社ノ傍ラニ一如ク二摂社ノ一然リ。或ル人云今ノ山王ノ社地ハ者元是レ祭ユ二杉末明神ヲ一之地也自リ三中古合セ二祭リシ山王ヲ於此ニ一己後星霜幾遷主二祭トシテ山王ヲ一而却テ移スコト二当社ヲ於傍ラニ一猶ホ二府中一宮之例ノ一又云当社ノ元ハ在リ二川向町ノ北ニ一中古祭ル二於此ニ一故ニ于レ今名ケテ二其地ヲ一曰フ二杉末町ト一。

宮津府志



丹後国INDEXへ        TOPページへ


学校一覧 学校一覧 高精度の学校住所録