稲崎神社
いなさきじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】板列神社 丹後国 与謝郡鎮座

   【現社名】稲崎神社
   【住所】京都府与謝郡与謝野町石川板列6241
       北緯35度31分27秒,東経135度7分0秒
   【祭神】倉稻魂神
   【例祭】4月25日 例祭
   【社格】
   【由緒】

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

鎮座地が「石川板列」で式内社板列神社の比定説もある。


稲崎神社

男山八幡宮之下
延喜式所載板列神社ノ考已ニ本書ニ載ス。一説ニ板列神社ハ石川村稲荷大明神ヲ云フト、社ハ石川ノ端郷亀山ヨリ五町餘東ニアリ、道ノ中間ニ華表ノ跡トテ石六ツアリ、近来稲荷社ノ柱礎ニトリテ残リ一ツアリ此所板列ノ社華表中古マデアリシト云傳フ。
(宇平註) 板列庄が物部郷なる石川村の端郷亀山まで届いて居ったか否やは考へものであるが、板列といふ地字は存在してゐるし、茲に所謂稲荷大明神は今稲崎神社といふ、亀山から五町も離れて居るぬ、すぐ裏の山の手である。

宮津府志



稲崎神社

稲崎神社 亀山小字長尾
 祭神 宇迦之御魂神(倉稲魂神と同じ)。
 「宇迦は食(ウケ)なり。一切の食物を司り給う意。御魂は恩頼神霊(ミタマノフユ)等ありて此神は食物の事に功あり主として治めせし神なるにより負い給しし御名也。須佐之男命の御子御母は神大市比売、御事績明ならず」(大日本神名辞書)。
 大祭は、旧暦9月9日(秋祭)であったが、現在は4月25日、旧来の石川村四社のうちの一で、御神体は白狐に乗れる方だという。祭典は、亀山に氏子若衆により、獅子舞、神楽が大宮神社の前で奉納される。氏子は亀山部落の約300人である。

野田川町誌



稲崎神社

与謝野町の国道176号を北上し、石川地区の右側の山裾に鎮座する神社。創建時不詳。祭神は宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ、いわゆるお稲荷さん)。境内は整備が行き届いて、静謐な雰囲気が漂っている。出雲系の狛犬が迎えてくれる。社殿は覆い屋で守られて、風化がほとんど見られない。
 拝殿向拝上の竜がまず目に入る。口を大きく開け、左上空を見上げている。ピンと立った舌先、黒色の銅線の髭、なめらかで力強いいらか、何といっても、赤く塗った目と宝珠の先端が鮮やかだ。木鼻の定番の唐獅子と獏も迫力があり、これらの目も赤色である。社殿の上部の隅には、獏に酷似した象の聖獣が見える。本殿の扉にも多彩な彫り物が施されている。頂点には、力士が梁を支えている。脇障子がいい。応神天皇の土蜘蛛退治と鷹を打ち据えている2面が見える。中井権次正胤の明治31年、44歳の力溢れ、垢抜けした傑作である。

丹波新聞2016年10月06日



稲崎神社

由緒 (創始年代不詳)
(神徳) 一切の食物を司り給う神
「宇迦」は食なり、一切の食物を司り給うの意。
御魂は思頼神霊等でありて、この神は食物の事に功あり、主として治めし神なるにより負い給し御名なり。須依之男命の御子。
御母は神大市比売。御事続明ならず。
ご祭神 倉稲魂神(宇迦之御魂神)
稲崎神社は亀山部落字長尾に鎭座され若宇賀能売命を祭神とす。
社地官有地 596坪幽遂にして
社殿、拝殿、完備して自ら威厳あり、
棟札 明治31年8月13日上棟
神殿 入母屋造欅材屋根亜鉛板葺 二坪二合五勺
拝殿 切棟造松檜材屋根瓦葺建坪6坪
大工棟梁 加悦町字算所 柴田為藏 藤原正喬
彫刻師 丹波柏原 中井権治

社頭掲示板




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