雲岩稲荷神社
うんがんいなりじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】阿知江岩部神社 丹後国 与謝郡鎮座

   【現社名】雲岩稲荷神社
   【住所】京都府与謝郡与謝野町岩屋
       北緯35度31分29秒  東経135度4分9秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

「式内社調査報告」には「住昔は当社より西南方雲岩庵の辺りにあり」とある。 雲岩寺の地は境内山頂に岩座とも思える巨石があり、境内山腹には雲岩稲荷神社が鎮座し、その背後は「だるま岩」と称する大岩の岩壁となっている。


雲岩寺略記

当寺は天平年間(750頃)法道仙人に依り修験道場として開基されたと伝えられる。
後、真言宗雲巌寺として鎌倉時代より七堂伽藍を備えてから大に繁栄して、毘沙門信仰の信者が近在はもとより遠来の参詣で賑わった。
然し、大永5年(1515)兵火により一宇を残して全山灰儘に帰したが、諸仏像は持出し洞窟に入れて難を逃れた。時は、戦國の世から織田信長の時代へ移行して行く中で、宗の寺院は復興出来なかつたものと思われる。
其の後、江戸期になり貞享3年(1686)宮津國清寺より傑僧黙潭和尚が入山し、臨済宗妙心寺派に改宗岩屋山雲岩寺となり、復興に努力されたが諸仏像を修理するのが精一杯で堂宇の建立迄は出来なかつた。
往時の金堂跡にある宝筐印塔は、永仁2年(1294)の建立で高さ3m36cmあり丹後地方最大のものである。
又、天王堂に安置してある地蔵菩薩座像(鎌倉期)及び毘沙門天立像(室町期)並に、持國天立像と増長天立像(共に南北朝期)は、野田川町文化財に指定されている。
寺は衰微したが現在は山つつじの名所で、京都百景の一として春は賑わっている。
昭和63年5月
岩屋区 岩屋郷土史研究会

社頭掲示板



雲岩寺

岩屋山 雲巌庵 岩屋小字弁天谷
本尊十一面観世音菩薩。
臨済宗妙心寺派に属し、戦国時代以前には真言宗寺院として発展した。開基は、法道仙人といわれる。大永五年、但馬の金蔵寺と兵火を交え敗戦し、焼土と化した。七堂伽藍が焼失して、現在その礎石のみが残っている、江戸初期の貞享3年、宮津の国清寺住持の黙潭和尚が廃寺を復興して中興開山第一世といわれた。
仏像は、木彫で、十一面観世音菩薩像。江戸時代の作。釈迦如来像は、朝鮮、中国にある大陸式のもので、室町期の作。地蔵菩薩像は、元禄九年、黙澤の修理が加わっているが、平安中期の形式を残した鎌倉初期の作品である。毘沙門天王、広目天王、持国天王像は江戸初期の貞享三年に、黙澤が修復しだが、各々室町初期のものである。また、江戸期の作という役の行者像があり、雲巌稲荷の本尊として咤吉尼天が祀られている。寺宝としては、青銅製の香炉、花立、燭台の三具足がある。
石造物としては、鎌倉中期(永仁2年)造立の宝篋印塔、並びに石灯籠があった。境外字福地に薬師堂があり、室町期造仏の薬師如来像を祀る。旧6月12日(7月12日)は縁日で賑わう。

岩滝町誌



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