『特選神名牒』には「道志流倍に但馬出石郡へ越る山をアチエ峠と云其南につづきたる麓に白髪大明神と云ありよろしき社地也前に川あり後ろの山に廢寺の趾あり上に雲岩とて遙に見上るばかり高く聳えたり云々とみえたる所在の証とすべし」とある。 |
由緒 1500年前の創立で延喜式内社であり、住昔は当社より西南方の雲岩と云う巌石の辺りに鎮座されてあったと云われ、西南界を阿知江峠と云いその傍流を磯部川と云って、社号をもって地名としたと云い伝えがある 移転年月日不詳。明治3年11月再建され、同年6月2日に村社に列せられる。昭和4年10月再建され、昭和18年5月神饌幤帛供進神社に指定された。昭和19年3月増築される。 御祭神は長白羽命で天照大神の岩戸隠れ座したとき、高皇座霊神の命を奉じ麻を植えて和幤を作り成り給ひて祭りの代りとされ御名は、これによって給った。江戸時代には『白ひげ大明神』と称していたが明治になって、阿知江磯部神社と称するようになった。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
阿知江岩部神社 式内社阿知江岩部神社由緒 祭神 長白羽命 当社は元雲巖あたりに祀られていたのを後現在地に遷したという。 醍醐天皇の延喜5年(905)勅命によって調査記録された延喜式五十巻の内九巻と十巻が神名帳であり全国の主な神社が載せられている。当社は第十巻に記載されている。所謂延喜所載の式内社である。 延喜式の作成された年から考察すると当社の創立或いは遷座は千数百年前と思考される。 現在の神殿は明治4年宮津城主木荘家の主護神の神殿を譲り受け造営されたもので、其の後数回増改築され今日に至っている。 祭神長白羽命は、天照大神の岩戸隠れの時青和幣(織物)を作って奉献されたことから、代々白鬚大明神と尊称され崇敬されている。 昭和18年5月24日 神饌幣帛料供進神社に指定された。 例祭日 4月25日 境内社 1.恵美須神社 祭神事代主命 2.若宮神社 祭神 市杵島命 保食神 昭和50年4月14日 宮司坂根富軌 謹書 社頭掲示板 |
阿知江磯部神社 岩屋村字森谷、村社、祭神長白羽命、往昔雲岩庵の邊りにありしを何時の頃か今の地に移し白髭大明神と崇む、当社明細帳に式内阿知江イソ部神社なりと記するも丹後旧事記、丹後一覧集、丹後細見録等古書皆須津村にありとし殊に丹哥府志には須津村須津彦須津姫大明神といふと社號を表す式内外の考定尚ほ研究の餘地あるものゝ如し。明治3年再建6年2月村社に列せらる、氏子225戸、例祭9月14日、境内恵比須と嚴島社とあり。境外堂屋敷に愛宕祠あり。 与謝郡誌 |
阿知江磯部神社 阿知江岩部神社(延喜式内社) 岩屋小字森谷 白鬚大明神と称せられ、明治になり、阿知江岩部神社となる。長白羽(ながしらは)命を祀る。神像は、男神・女神(室町初期)、左大臣・右大臣(鎌倉期)である。「長は布帛の丈長きを云い、白羽は真白なる布帛を指せり。此の神天照大神の天の岩戸に隠り坐しし時、高皇産霊神の命を奉じ、麻を植えて和幣(にぎた)を作り成し絵し、祭の代とし給う。御名は、之によりて負い給へるなり。伊勢国麻績(ヲウミ)氏は、此の神の末裔なり。」(大日本神名辞書)とある。江戸時代には、白鬚大明神と称した。大祭は、4月25日、神楽と屋台四基で祭礼を行ない、祭典の座席は、神官、区長、氏子総代4名、組長4名、各種団体代表の順になっている。境内には、厳島、恵美須の二社がある。織物の神として崇敬されている。なお小字堂屋敷に愛宕神社がある。 野田川町誌 |