石川は、物部氏の田荘であつた。仁徳天皇の皇后となつた八田皇女(応神天皇の女)が、名代として矢田部をおき、「物部大別連」を矢田部造とした。部民の矢田部により矢田部神社が祀られた。 中世期には社運が傾き、小森十明神と呼び荒神崇拝と混淆せられて僅かに存続した。 |
矢田部神社 矢田部神社は延喜式内社としての古歴を有し祭神には伊香色男命をご神体には神鏡を祀る。 当神社の元鎮座地が加悦町番河にあり後流失して移ったと里老が伝えている。又今の浪江の入り口北方南受けの田地を矢田部と称し元の鎮座地ともいう。創祀年代は不詳、伝承上にも諸説があるがこの矢田山麓地付近に鎮座して古くからの祭りがつづけられてきたことは違いない。 中世社運傾き矢田荒神とも呼ばれて荒神崇拝と混淆されましたが町内数少ない式内社の一つである。 神殿は流れ造りこけら葺き、建袖形式は整っているが構造は全体に平易簡明な造りで煩わしい但物彫刻を避けた清楚な形で相当の年歴を経ている。 天保14年(1643)の棟札があるがこれには「奉納弥田神社小森大明神成就棟上」と書かれている。 花崗造り明神形の鳥居には文化11年(1814)氏子中の刻銘がある。祭事は4月24日に太刀振りが奉納される。 社頭掲示板 |
矢田部神社 石川村小字矢田鎮座、村社、祭神伊香色男命、延喜式内社にて神祇志料地理志料ともに矢田神社石川庄石川村字矢田山麓にあり矢田荒神と云ふと爲す。明治6年2月村社に列せらる、一説もと香河の谷にありしも何時の頃にや流出せしとも傳ふ、氏子30戸祭4月25日。 与謝郡誌 |
矢田部神社 矢田部神社(延喜式内社)大宮小字矢田 祭神 伊香色男命。 「開化天皇の皇后(崇神の母)伊香色謎命の弟で、父は大綜杵命であるとし、開化天皇の代に大臣、崇神天皇の代にも大臣として、神物を班(わた)たんがため、天社、国社を定め物部八十手の作った祭神の物を以て八十万群神を祭った」(日本古代人名辞典)。通称矢田荒神である。大祭は大宮区民により旧9月9日に執行される。 野田川町誌 |