海に面して鎮座している。海岸から一直線に参道がある。累代宮津藩主の例祭參拝があつたと伝えている。 |
由緒 当神社の祭神を延喜5年(西暦901年)栗田湾海辺に祀り住吉の浜と称せしにはじまる。当社の造営は應長元年(西暦1311年)式内の名社として創建、文明元年(西暦1469年)に建立さるに至る。途中、高妻山城主河島備前守入道社殿を修復(明應4年西暦1495年)、江戸期元禄12年に至って棟札を上棟、宝暦8年本荘伊勢松坂に移封され、天保13年社殿再建、今日に至っている。延喜式内社として歴代の宮津藩主を始め、丹後、丹波、但馬は云うに及ばず、近畿一円代々信仰者あまた数限りなし。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
住吉神社 栗田村字上司小字蟹ケ社鎮座、指定村社、祭神表筒男命、中筒男命、底筒男命、鎭座年暦未詳なりと雖も明応四年上司高妻山城生河島備前守社殿修理すと社記に傅へ文明元年9月再興元禄14年辛巳9月修覆天保13年3月改営の棟札現存し累代宮津藩主の崇敬篤く例祭には概ね御参拝あり。毎年9月13日祭典には当社は元より田井の代永天王、小田の日比宮,中津の浦宮等の谷村より神輿を舁ぎて社頭に集り神事荘厳を極め.参拝の子女近郷より繹絡として織るが如きの雑沓あり丹哥府志丹後細見録,丹後一覧集等には延喜式神名帳所載の久理陀神社は当社なりとし又丹後國式社證實考には小田宿野村の栗田神社にて当社は断じて式社にあらずとなす。明治6年2月村社に列せられ大正元年12月17日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。本殿.拝殿,幣殿.社務所、寵所等完備し境内末社に稻荷神社、恵比須神社、若宮神社、八阪神社あり。 与謝郡誌 |
住吉神社 創建時不詳。明応4年(1495)に修理され、現在の社殿は天保15年(1844)に改築されたとの棟札がある。祭神は底、中、表筒男命(ウワツツオノミコト)で、いわゆる住吉三神である。波静かな栗田湾に面して、立派な鳥居が2基、目に入る。社殿にもとあったものを海辺に移動し、さらに大きな鳥居がしつらえられた。 社殿は入母屋造りで、千鳥破風、唐破風付の見栄えのよい造りである。拝殿の向拝には2段になって、彫り物がある。梁の上部には山鳥と松と竹、そして穴の中から可愛いい兎が顔を見せている。梁の下の部分には、唐獅子と思しき聖獣が2頭見られる。木鼻には、それぞれ阿吽の呼吸で2組の唐獅子と象の立派な彫り物があたりを覗っている。本殿の中は暗いが、迫力満点の竜の彫刻が、眼光鋭く髭をピンと伸ばし、宝珠をがっちり握って左前方を睨んでいる。6代目中井権次橘正貞の銘が龍の裏面にある。 丹波新聞2016年09月08日 |