野田川左岸近く、集落の奥山裾に鎮座する。境内に大木が多い。 木積神社を式内阿知江神社に比定する説がある。 |
木積神社 延喜式内社 木積神社(旧郷社) (鎮座地)与謝郡岩滝町字弓木小字石田宮ケ谷 (祭神)五十猛神(天照大神の弟、素盞鳴尊の子)大物主神(素盞鳴尊の子、大国主神の別名) (由緒、沿革) 当神社は「木積山王宮」とも云われる。創立は平安時代醍醐天皇の御代、延喜2年(902年)の勅により全国各地における崇敬篤き神社を選び「延喜式内社神名帳」が作られ当神社はその中で官幣小社として載せられており、よってその創立はそれ以前と考えられる。しかしその後の罹災等により建築物社記、古文書等を消失したため、その沿革等を詳しく知ることはできないが、現存する古文書「丹後国式内社取調書」「山王宮社再建寄進帳」によると、天明6年丙午8月(1786年)に再建され、その後昭和15年社殿改築がなされ現在の神域となっている。 また「三輪神社・祭神大物主神」については、創立年代は不詳なれど、慶応4年4月の記録に「山王大神・祭神大物主神」とあり、明治2年6月17日「三輪神社・祭神大物主神」と改号され「木積神社」に配祀されている。 「木積神社」「三輪神社」共に、樹木、木材家屋、医薬治療、延命息災、国土経営、家運隆昌の祖神として、古くから氏子はもとより、歴代藩主を始め広く世人に崇敬されている。 (社宝) 中務郷有栖川宮殿下御筆「木積山王大神」の神号 狛犬(石造)二体 石灯籠二基 宝筐印塔二基 (例祭) 4月30日神幸祭 5月1日還幸祭 神事として「神楽」「太刀振り」「ささばやし」を奉納する。 平成13年4月吉日弓木区 石田区 社頭掲示板 |
木積神社 参考文献 一、「丹後国式神証実考」(大原美能理) 木積神社 当社ハ丹後旧事ニ木積山丹波郡主基村云々トアル、同書ニ皇住村ト云フアリ、皇住村ノ西ニ当リ木積峠ト云フアレド古説モ旧記モ根拠ナク、且ツ竹野郡界ニテ取リガタシ。 岩ケ鼻王社ト云フ説アレド、同社ハ江州日枝ヨリ遷スト云へバ木積神社ニアラズ。明石村ノ山王トモ云フ説モアレド之モ同様ナリ。 石田分ニハ貞享5辰(1688、元録9年)3月譲渡証文ニ「木すみの山東云々」トアリ是一ノ証ナリ。 社伝記ニ少シ根拠アルヲ以テ豊岡県ニテ当村ニ決シタル也。 二、「丹後国式内社取調書」(京都府) 木積神社 (頭註)(覈)皇住村(明細)弓木村祭日8月朔日(道)岩ケ鼻村)。石田村山王社卜云フハ誤リナルベシ (式考)丹後旧事記ニ木積山丹波郡主基村云々トアリ、又同書ニ皇住村卜云フアリ、皇住村ノ西ニ当り木積ト云フアレド古説モ川記モナク拠ナシ、 且ツ竹野郡界ニテ取リガタシ、岩ケ鼻村山王社ハ江州日枝ヨリ移スト云へバ木積神社ニアラズ。石田村ハ貞享五年辰三月譲渡証文ニ木すみ山ノ東云々トアリ是一ノ証ナリ。(豊)弓木村字宮ケ谷五十猛例祭9月11日。 三、「特選神名牒」(教部省) 木積神社、 祭神 五十猛命 祭日 9月11日 社格 村社 所在 今按豊岡県取調記に弓木村とし、神社譲録府中男山村と見え道志流に岩ヶ鼻村とし、石田村山王社と云うは誤りなるべしと云ひて流説一定せず。 四、「大日本神祇史」(徳川侯爵家) 木積神社 今在二弓木材宮谷一 伝言記ニ五十猛神一 配二大物主神一(土人説) 五、日本地理資料」(邨岡良弼編) 木積神社 在二弓木材宮谷一祀二五十猛神一 六、「与謝郡誌」(大正12年与謝郡役所刊) 木積神社 岩滝町字弓木小字石聞宮ケ谷鎮座、指定村社、祭神五十猛命、大物主命、由緒不詳、丹歌府志には延喜式内阿知神社を当社と比定し式内木積神社を中郡五十河村久住に掲ぐ、蓋し当社もと山王権現と云い、大和国三輪より勧諮し、三輪神社とも云う。 宮津藩寺社名前御取調帳に弓木三輪社島谷佐渡の条兄ゆ。式内木積神社を久住に比定さるは丹後旧事記、丹後一覧集、丹後細見録皆然り、この外丹後国式社証実考には「明石村、岩ケ鼻村、中那丹住村同郡主基村ナドノ説区々ナレドモ何レノ村モ何ノ由緒モ見当ラズ云々」とあり、是非未だ断ずべからす、社殿、舞殿、神輿蔵、社務所等備はり、境内末社稲荷、猿田彦、速玉緒社あり、氏子230戸。明治6年2月村社に列せられ、大正9年2月3日神撰幣帛料供進指定。祭神5月1日。 七、「京都府神社略記」(昭和8年京都府神職会) 村社 木積神社 岩滝町字弓木 祭神 五十猛神、大物主神 例祭 4月30日 以上が参考文献の主なるもので、この外延喜式所載の木横神社を他郡付(中郡久住村)に比定した文献に田中棋柏の「丹後旧事記」、山根道択の「丹後一覧集」、編者不詳の「丹後細見録」、佐治正道の「丹後国式内五社垂迹本源考」などが維新前にあり、維新直後、いわゆる、式社詮索時代に、今城道択の「丹後式内神名改」、鈴鹿連胤の「神社覈録」、荒川政鳳の「丹後国式内神社考案記」、明治晩年に下って吉川東伍の「大日本地名辞書」もそれであり、はっきりと所在を書かないものに出口延経の「神名帳考証」、栗田寛の「神社志料」、近藤瓶城の「丹後国官社誌」などがあるけれどもこゝではそれ等の凡てを省略するが、明治維新後、与謝郡が京都府の管轄になる前に豊岡県で既に石田と決定したのだから今は論議の外にしておく。 岩滝町誌 |