宮津市小田に普甲峠があり、この地に普甲寺と布甲神社があったという。元亀2年(1571)普甲寺は織田信長によって焼失滅亡した。布甲神社もこのとき滅亡したと思われる。 |
千歳嶺碑 千歳嶺稗は上宮津村字小田普甲峠の頂上にあり、普甲嶺一に千歳嶺といふ、京都府下維新前民政資料碑文集に曰 千歳嶺碑 加佐郡河守上村より與謝郡宮津に通ふ普甲峠の西北に在り此道は大山を亙り険道にして行旅を苦しむを以て宮津城主本荘氏より開修し大に通行に便せしむ人民皆欣喜せしを以て賀茂季鷹に嘱し此碑文を作り石に刻し其阪に建てしめむ事は文に詳かなり。 碑文に曰 千歳嶺 千年山は近江丹波二国に在然るに此山は古ふこうたむけと云しを不幸不孝なと音かよへは祝て千とせたむけと云しとかや今思ふに延喜式神名帳に與謝郡布甲神社あれは其神社此山に在し成へしされは其餘波と覚しくて中比まて普甲寺てふ寺有しが夫は絶にきとそされは彌人蹟まれなれはおのつから草木所を得て茂りあへりとそ抑其山路さゝ泥たにさかしさに行かほ人苦しめるをこたひあわれみ給ひて此わたり知しめす守のとのゝ仰書有て岩をうかちさかしきを平らけせはきに広くなさしめ給ひたれは千歳山の千とせの末まても往がふ人あほきたふとまらむやあなめてたくめてたくとたゝへ侍りしなきこしめし氏仰事侍るをいなみかたくて八十の翁目をしほりつゝあからさまに筆を執いへるやあな恐穴かしこ 天保二年九月廿三日 正四位下加茂 県主 季鷹 道ひろき君がめくみに諸人の ゆきかひやすき此千とら山 季鷹 http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/hutotoge.html |