社名は水の出入口、水門、或はミナトの美称とも意味が通じる。この社についての資料は乏しいが、かつては野田川の港集落としての機能をももつていたかも知れない。或は野田川平野(加悦谷盆地)の北半を占め、農耕神的な役割を果していたかも知れない。 |
弥刀神社 弥刀(みと)神社(延喜式内社) 上山田小字館 祭神 速秋津日子命。 水戸を守る、水戸で祓除けをする。妹の速秋津姫と共に速力の早い瀬の間にあって、罪けがれを祓い清める神である。湊には多くこの神を祭る。水戸明神と呼ばれた記録がある。日本地理志料に「祀典所レ秩弥刀神社在二上山田村一称二水戸明社一云々」とあり、宝永4年9月再建したことも残っているが、現在の社殿は、明治25年建立のものである。大祭は旧9月6日、現在は4月25日。行事として往昔はささばやし、神楽、担い屋台などがあったが、現在では、太刀振りがあり、振子たちは精進潔斎を行ない身を清めるため、滝水にうたれて参加をした。また、江戸時代から弥刀神社講があり、現在までつづいている。明和7年からの講帳があって、月番により講の運営を行ない、その月の当番宅では会食がある。また、子供中の組織として、大仙導(おおせんど)、宮籠り、宮掃除などの行事があったが、現在はつづいていない。境内には、若官、稲荷など、また小字城山には城山稲荷の祠がある。 野田川町誌 |
弥刀神社 延喜式神名帳にある古社。創建は貞観9年(867)、祭神は速秋津彦命(ハヤアキツヒコノミコト)。本殿は宝永4年(1707)に再建され、火事により焼失後、明治25年に再建。水戸神社、水門神社とも言われた。往時には阿蘇海の水がこの付近までを満たしており、舟を使っての交易が盛んであったと言われている。社殿には立派な石段を20段上がっていく。 本殿に立派な彫り物がなされている。向拝中央には、梁間からはみ出した迫力満点の竜が見える。細い胴版をくるくる巻いた髭、大きな舌。何といっても骨太の“いらか”が素晴らしい。左上方を睨んでいる。このすぐ上の空間には目を大きく見開いた力士が唐破風の屋根を支えている。木鼻の唐獅子と獏は大きく、鑿(のみ)あじ鋭いものだ。二重の手挟みには、鶴や鷹、びわの実をついばむ猿がいる。本殿四隅には象の聖獣が、脇障子には神仙説話の仙人がいる。柏原の8代目中井権次橘正胤の傑作である。 丹波新聞2016年12月15日 |