この地は物部氏の田莊のあつたところで、物部氏は、今の野田川町今川を原籍地(本貫)として領有しており、この地に祖神を祭つたのである。 |
物部神社 この社は、平安時代の始め(900頃)醍醐天皇の命によって作られた延喜式神名帳に登録されている由緒ある式内神社であります。神殿は江戸中期に造営されたと云われているもので、その形式は権現造向拝付きで欅材で造られており、屋根は榑葺の建物です。祭神は宇麻志麻遅命(一説に蘇我石川宿根命)、ご神体は神鏡です。神像は左大臣、右大臣の木造座像と記されていますが現存していません。 神殿正面の「物部大明神」の額は天明5年(1785)日野資枝の筆によるもので元は鳥居にあがっていたものです。 参道の鳥居(横3.7m×高4.3m)は文化10年(1814)に建立されたものであり、掲げてある扁額「物部神社」は「正二位清原宣光公」の落款のある書ときされています。 祭事は毎年4月25日、石川区合同の祭礼が行われ当社より神楽・獅子舞・太刀振り・笹噺踊の行列が宮司・神社総代・区役員を先頭にして上・中・下地区屋台とともに大宮神社まで巡行します。 社頭掲示板 |
物部神社 物部(ものべ)神社(延喜式内社) 下地小字江ノ奥 祭神 宇麻志麻遅命。 饒速日命の子で、物部連、穂積臣の祖で、母は長髄彦の妹御炊屋姫という。「田数帳」に、「物部ク少神田四反七十八歩御免」とある。 大祭は、旧暦9月9日で、石見国一の宮物部神社(旧国幣小社)と同日である。祭礼は四社合同で行なわれ、当社より大宮社へ行列する。大宮社前において、奉納余興が、各社担当の青年によって順序正しく行なわれる。神楽、獅子舞、太刀振り、笹囃し踊り、相撲などがある。 御神体は神鏡で、神像は左大臣へ右大臣の木彫の坐像である。祭神に一説あり、蘇我石川宿弥命という。 社宝日野大納言資技公書の「物部大明神」扁額一面(天明5年)がある。 各七部落には、狂言舞台があって、青年たちの希望に応じ、一箇月臥上の練習を行なわせた。この歌舞伎芝居は、明治中期までつづいた。氏子は、旧石川本村、下、中部落の大正橋までで、道路境より出添い側は高津までという。戸数約二百七十が氏子といわれる 野田川町誌 |