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伝承によれば「延喜式」神名帳に記せる「三宅神社」「丹後風土記」にいう「河辺坐三宅社」とする。 「北方200mに古社地跡がある」とされているが、竹林の中に少しの平坦地があるが確認できなかった。 |
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八幡神社 由緒 当八幡神社の祭神は誉田別命・猿田彦命を祀り、草創以来河辺郷六ヶ村氏神として崇敬を受けている。 伝承によれば「延喜式」神名帳に記せる「三宅神社」「丹後風土記」にいう「河辺坐三宅社」とは当社のことであるといわれており、中世社号を変じ八幡宮を名乗った。 当社に伝わる棟札に天養元年(1144)、延慶元年(1308)などの年号を記せるものがある。 文亀元年(1501)の奥書がある大般若経を蔵している。 本殿は昭和41年(1976)不慮の火災により焼失するところとなり、昭和42年再建遷宮をしている。 本殿前の石灯籠は貞治3年((1364)の銘文があり、例年9月15日の例祭に奉納する田楽舞(鉾の舞・獅子の舞・太鼓の舞・藤ずり)とともに市指定の文化財となっている。 社頭掲示板 |
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河辺八幡神社 河辺中の八幡神社を「神名帳」所載の三宅神社とするなら、「延喜式」編集以後に八幡神を勧請したことになる。同神社をもって三宅神社とする最大の根拠の一つは「丹後風土記」残欠に「河辺坐三宅社」とする一行があるからであるが、この残欠に対する史料検討が完全でない現在、直ちに河辺中を所祭地とすることには無理がある。また八幡神社がなぜ三宅神社でなければならないのか、この説明も十分ではない。同社は江戸期「正八幡」(旧語集)と称しており、この名称は大浦地区に多い。境内に貞治三年(1364)北朝年号を刻む石灯篭があって、当市の文化財に指定されている。 八幡神は早くから仏教と習合したが、民間に流布するのは本地垂迹説の完成する中世以降とされるから、同社の起源については、「神名帳」所載の三宅神社が、八幡神の流布によって祭神が替ったか、あるいは創建当初より八幡神を祀ったか、検討の余地が多い。 舞鶴市史 |