清和天皇の貞觀5年(863)癸未の年夏、沼に夜に異光を放つものがあつて村人はそれを明神と尊崇した。 |
麻良多神社 京都府丹後國加佐郡丸八江村字丸田小字宮之谷 村社八幡神社 祭神誉田別命 朱書「村社麻良多神社 祭神 豐宇氣持神 合殿祭神譽田別命」 右神社勸請手代不詳ト雖村老口碑二徃昔ヨリ麻良多神社ト称シ來り候処、別紙明細帳寫記載之通、中古男山八幡神社之玉串ヲ拝請セショリ徃昔鎭座之式内麻良多神社之称號ハ失シテ村民ハ勿論近村二至ル迄単二丸田八幡ト唱へ來り候ヨリ去ル明治拾七年神社明細帳御調査之際信徒ヨリ誤テ八幡神社ト具申仕今日ニ至リテハ本郡式内大小拾壹座之一ニ座ス式内麻良多神社之社名ハ煙滅シ神社明細帳ニ記載無之義今般神社取調二際シ発見仕候惟フニ明細帳記載之由緒二清和天皇之御宇貞觀五癸未年夏於丸田沼異ナル光ヲ発スルコト夜々不絶當村之明神ト尊崇シ云々、又延喜式神名帳二丸田之鎭座ト有之云々ハ式内麻良多神社之義ニテ同暦八年丙戍六月拾五日男山八幡神社之玉串ヲ拝請シ鎭座祭云々ハ即チ八幡神社之由緒タル義二候。去レバ固ヨリ徃昔式内麻良多神社之鎭座ハ言フヲ待タサルヲ中古八幡神社ヲ合殿へ祀り來リシヨリ主トシテ八幡ト称シ、式内麻良多神社之神名ヲ誤テ八幡神社ト記載仕候前述之次第二候上ハ式内麻良多神社ハ別紙調書之通國史所載之神社ニシテ八幡神社ハ中古合殿二祀シコトハ今回取調事實明諒仕候從來粗漏之取調罷在候段深ク恐懼仕候、此儘数年ヲ經過セバ畏クモ延喜式神明帳記載之式内麻良多神社之社名ハ煙滅仕候義ト信徒一同概歎二不堪候、依テ事情御洞察之上右神社明細帳ヲ更二朱書之通り御訂正成シ被下度別紙明細書写及口碑實况書相添且此段奉懇願候由何卒御詮議之上願意御採用被下度只管奉願候也 丹後國加佐郡岡田下村郷社大川神社社司 兼右村社八幡神社社掌 明治36年3月29日高田数馬 神社明細帳誤謬訂正願 |
麻良多神社 同社はかつて八幡神社を社号としていたが、明治41年に「神名帳」所載の神社をこれに考定して社号を変更した。創建の社伝は「貞観五年(863)に丸田の沼に夜々異光を放つものがあって、村人はこれを明神と称え尊崇し、同八年男山八幡を勧請した」(『加佐郡誌』)とするが、森羅万象の中で人知でははかり知れない現象を、これすべて神と見るのが古代人の神観念の通例であって、おそらく同社も初期には単に”麻良多の神”であったものが、八幡神の流布によって、これに習合吸収されたのでないかと推察されよう。 舞鶴市史 |