日尾神社
ひおじんじゃ 所在地 社名

















   【現社名】日尾神社
   【住所】京都府舞鶴市与保呂堀口1261
       北緯35度26分49秒  東経135度25分46秒
   【祭神】天日尾神 天月尾神 国日尾神 国月尾神
   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧村社で
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「池姫大明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所・手水舎

   【境内社】

ここは「蛇切岩」伝説で有名な神社。倉部山(庫梯山・三国山)のヘビを祀った社と思われる。ここにいたヘビは岩に当って三つに切れた。その蛇の頭を日尾神社に、胴を行永の堂田宮に、尾は大森神社(弥加宜神社)に祀った。という伝説である。ヘビは高浜町の青海神社へも飛んでいったとも伝わる。


蛇頭末姫大神

その昔多門院の黒部に「おまつ」と「おしも」という美しい姉妹がおり、二人が与保呂の奥山へ草刈に出かけたある日、美しい若衆に 出会つた。
以来、この若衆の姿が「おまつ」の心に深く刻み込まれた。そんな時、「おまつ」に縁談が持ち上り、行く末を悲観した「おまつ」は、池に身を投げ大蛇に化したという。
それからは大蛇が仇をするという噂が広まり、村人たちがこれを退治しようとモグサで牛を作って食べさせた。
すると大蛇は火に苦しんでのたうち回り、池は大洪水となつた。
その時、大蛇が岩に当たって三つに切れたという。
その岩を、「蛇切岩」といい、その後、与保呂の村人たちは「おまつ」のひたむきで純粋な恋心を哀れに想い、またその崇りをおそれ、頭部をここ「日尾池姫神社」に「蛇頭松姫大神」として丁重に祀つた。
それ以後、不思議なことに、この境内には、「おまつ」の因縁でか「松」の木は一本もない。
そして胴は行永の「どうたの宮」、尻尾は「大森神社」に祀ったという。
平成22年4月4日

社頭掲示板



日尾神社

池姫神社 与保呂 木ノ下 常村ノ氏神」(旧語集)とも、「笶原神社は今池姫大明神を称す」(丹哥府志)とも記しているが、これはまぎれもなく日尾神社のことである。ただし、祭神を「天日尾 国日尾 天月尾 国月尾」の四神とする文献(丹後風土記残欠)もある。
 また更に、右の三社(註−城屋雨引神社、布敷池姫神社)創祀説話として、大蛇(竜)を殺害、または岩に封じ、その身体を分断して祀ったとするのもある。ただし、弥加宜神社の通称大森神社をオノ森として説話に付会したものであろう。
池姫神社の場合は、大蛇の死により「八面之鷹となる是志鳥明神也、体ハ池姫明神と崇」(旧語集・上根村)むとあるが、志鳥明神とは倭文神社のことである。
 これらの神社所在地は、高野川、池内川、与保呂川に接しており、寸断した大蛇を同一領域内に祀ったとする伝承の背景には、旧村落の相互連帯をうかがわせるものがある。さらに、際祀上の問題をいえば、右に述べた各神社の上流域に必ず伝承に関する岩が存在する。これらは雨引神社の場合と同様に、社殿際祀以前のより原型的な信仰形態として神の憑り代(磐座)であったと推測することができる。

舞鶴市史



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