桑飼下の集落は、もと当神社の前の自然堤防上にあつたが、明治40年の大洪水により、全家屋が山麓の高地に移転した。この自然堤防から、昭和48年、河川改修の際、縄文・彌生時代から奈良・平安時代にかけての遺物住居跡が発見された「桑飼下縄文遺跡」、この居住地の古さが証明された。 |
伊知布西神社 延喜年中、帝都雷之節御祈願ニヨリ、延喜5年(905)乙丑御造営有之、其ノ頃村名、伊智布西ト唱ルニヨリ伊智布西神社ト御称號有之之旨申傳候、延長5年(927)丁亥年國々へ御勅使ヲ下シ賜り御改メ相成リシ旨申傳へ候へ共詳ナラズ、明和3年(1766)秋8月本殿再建、嘉永5年(1852)拝殿再建 神社明細帳 |
伊知布西神社 由良川流域の上流に、桑飼下の伊知布西神社があって、延喜5年〔905)の創祀と伝えられている。祭神は道振命(丹後旧事記)、伊弉諾尊・伊弉册尊などと混乱がある。 「丹後国式内神社取調書」は道振命について、越前国敦賀郡の市振神社(式内社)を参考にあげているが、その経緯は明らかではなく、伊知布西と市振の字音の類似から引用したものと思われる。「特選神名牒」はこの市振神社は廃絶したとしている。なお、境内社の兵主神社は全国的に分布しており、奈良県の「穴師坐兵主神社」(名神大)が有力で、兵主神は穴師の神人により信仰が伝播されたらしく(折口信夫全集)、上安の高田神社にも同名の境内社がある。 舞鶴市史 |